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1960~70年代マーケットの重大事件を振り返る――IOSショック、ニクソンショック、オイルショック

戦後経済の大転換点「ニクソンショック」 東証ダウ-7.68%安もバブルの萌芽が

「いざなぎ景気」の終焉から1年ばかりが経過した1971(昭和46)年8月15日(日本時間16日午前10時)リチャード・ニクソン米大統領はドル防衛を目的として金ドル兌換停止を電撃的に宣言した。これが世に言う「ニクソンショック」である。

これにより、金1オンス=35米ドルの兌換を保証した戦後の金ドル本位制(ブレトン・ウッズ体制)は終焉し、スミソニアン体制下の米ドル切り下げを経て、各国主要通貨は変動為替相場制に移行することとなった。

それまでの日本は、1ドル360円の固定為替相場のもと輸出で多いに稼いでおり、その大半は繊維であった。昭和40年代半ばまで「日米貿易摩擦」と言えば、それは繊維だったのだ。

余談だが、戦後長きにわたり「世界第2位の経済」を維持した我が国は繊維の輸出中心で稼いだ。群馬県の富岡製糸場はそのルーツである。その意味で富岡工場が世界遺産に登録されたことは意味深い。

さてニクソンショックは奇しくも8月15日「終戦の日」直後であった。私は家族との夏休みで会社から200キロ離れた高原にいたが、大事件を知ってマイカーを飛ばし野村に出社したから鮮明に記憶している。

いきなりの円高に日本は慌てた。8月16日の東証ダウ終値は2530.48円、前日比-210.50円(-7.68%)の大幅下落であった。

当初、日本政府は1ドル360円を維持すべく、国力を挙げての円売りドル買いで対抗したものの、8月下旬にはドル買い支えを断念し、その後しばらく1ドル340~320円水準で推移する。

そして12月にはスミソニアン協定により1ドル308円が決定し、円はドルに対し約17%切り上げられる結果となった。

しかしながら、この円高への一連の対応やデフレ防止政策は過剰流動性を生み、後の「列島改造バブル」へと繋がっていく。東証ダウは1970年12月の2,000円割れ水準から、1973年1月の5,359.74円まで、わずか2年あまりで2倍以上の上昇を示現したのである。

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