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東日本大震災後の3月14日、オプション市場で起きていた「想定外」の事態=高梨彰

今年で3.11から7年。2011年に起きた東日本大震災では、揺れだけでなく、津波に原発事故と、日本の未来がどうなるのか多くの人が「恐怖」に陥ったはずです。今回は、当時の「恐怖」と市場との関係、特に日経平均先物オプション取引について述べてみたいと思います。(『高梨彰『しん・古今東西』高梨彰)

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プロフィール:高梨彰(たかなし あきら)
日本証券アナリスト協会検定会員。埼玉県立浦和高校・慶応義塾大学経済学部卒業。証券・銀行にて、米国債をはじめ債券・為替トレーディングに従事。投資顧問会社では、ファンドマネージャーとして外債を中心に年金・投信運用を担当。現在は大手銀行グループにて、チーフストラテジスト、ALMにおける経済・金融市場見通し並びに運用戦略立案を担当。講演・セミナー講師多数。

「備蓄」ゼロで挑む投資家たち…。その時、市場で何が起こったか

3.11、突然の大揺れにディーリングルームは…

東日本大震災が起きた当時、私は東京都内の金融機関のディーリングルームにて、債券運用担当として売買をしていました。金曜日の引けが近付き、週末ムードが漂ってきたところです。

午後2時46分、いきなりの大揺れに何も考えず机の下に隠れました。株価が急落するなど相場は揺れの間も動いていましたが、あの状況で売買はできません。午後3時の引けまでに出来たのは、夕方に予定していた著名エコノミストとのミーティングをキャンセルするため、先方に電話したことだけです。とにかく「相場より人命」でした。

テレビを観れば、仙台空港と海岸の間にあるはずの親戚の家々が全て津波に流されています。「人命」すら確認しようがありません。心配や不安、そして幼い頃遊びに行った父の故郷が、跡形もなく消えようとすることへの絶望感に支配されただけでした。

相場にしても、まともに売買をする人はほとんど居ません。「今日中に為替を手当てしないといけない」「少しでも損失を確定させたい」、そんな必要に迫られた人だけです。

だいたい、売買したくても市場参加者が極端に少ない中で、商いは成立しません。1兆円単位など大きなポートフォリオを運用する人々ほど、諦めて状況把握に専念します。また「カネに色はない」とは言いますが、有事の真っ只中に大口売買をしようものなら、後に悪名を残すだけ。紳士協定は存在します。AI(人工知能)に紳士協定は期待薄ですが…。

そんな調子なので、地震発生後の価格もほとんどは気配値が動いていただけでした。

「不安と恐怖」に支配された市場

唯一確かだったなのは「市場は不安と恐怖で満ちている」のみ。「恐怖」が高まれば、値動きの不確実性も高まります。後に詳述しますが、「恐怖」が高まると、売る権利・買う権利のオプション価格は上昇します。

震災直後も、「恐怖」の大きさゆえに、日経平均株価の急落がどこまで進むか分からず、日経平均先物を売る権利(プット・オプション)の価格が急騰しました。プット・オプションを予め売っていた人はパニックです。損失を確定するため買い戻したくても、取引相手が居ません。結局、とんでもない高値でプット・オプションを買い戻す羽目に遭います。

結局、東日本大震災を契機として、トレーダーはプット・オプション売りの怖さを再認識することになりました。果たして、事前に備えることはできなかったのでしょうか

Next: 最強の投資手法が敗れた本当の理由とは?



現在とは異なる「レンジ相場」

当時の市場を振り返ってみます。

2008年9月にリーマン危機が発生しました。株価は急落、景気後退に陥ったのですが、その後の金融・財政両面からの景気刺激策により、株価も景気も持ち直しつつありました。

リーマン危機前夜に12,000円台だった日経平均株価は、2009年に入って7,000円付近まで下落しましたが、2010年には10,000円の大台を回復しています。

しかし、日本では民主党政権下にあって、景気にも相場にも勢いは見られませんでした。デフレ脱却も進まず、株価も一定の値幅に留まる「レンジ相場」の想定が増えつつありました。

震災前に投資家が成功していた取引手法とは

「レンジ相場」となれば、オプション売りが有効です。コールもプットも行使価格までたどり着かなくなり、プレミアムを貰うだけの機会が増えるためです。

オプション取引にあまり詳しくない方は、保険会社をイメージするとよいでしょう。オプション売りは事故が起こらない(相場が大きく上下に振れない)ことに賭けて、ほかの投資家から保険料を受け取るようなものです。もし事故が起きたら多額の保険金を払わなくてはいけませんが、何も起きなければ保険料はそのまま自分の利益になるのと同じことです。

実際、現値から離れたコールとプットを両方売る「ストラングル売り」が主な戦略として採られていました。「1ヶ月、相場が動かなければプレミアム10万円ゲット」、そんな取引です。

裏を返せば「相場がこれまでより動けば損失」です。しかもオプションの売り手は、損失の可能性が無限に存在します。

震災直後の取引にて、日経平均株価は10,000円台から8,000円台まで一気に2,000円ほど下落しました。ポジションの持ち方によって多少の違いはありますが、「10万円ゲット」のプット売りを持っていた人であれば、値動き分だけでも200万円程度の評価損を抱えたはずです。20ヶ月分が一瞬にして吹き飛んでしまいます。

しかも、震災により先行き不透明感が急速に高まり、オプション市場で想定する変動率(インプライド・ボラティリティ)も急上昇しました。これにより、プットの売り手はさらに100万円単位の評価損を抱えます。パニック度によっては「10万円ゲット」が「1億円単位の損失」に変わることだってありえます。

最低限の備えさえも放棄した投資家

オプション市場では、「動かない」には2つの意味があります。1つが「実際に値は『動かない』」、もう1つは「今後想定される変動率は『動かない』」です。

両方とも、オプション価格に反映される大切な要素です。一緒にまとめれば、「想定内の値動きに留まるかどうか」なのですが、やっぱり要素が「2つある」ことを意識することが大切です。

先ほどの例では、前者の「実際の値動き」により200万円、後者の「変動率の高まり」により100万円単位、場合によってはそれ以上の損失が発生した、という説明が可能です。

備えある投資家ならば、相場急変にも耐えられるように、「9,000円のプットは売るけど、急落に備えて(9,000円プットよりプレミアムが安い)8,000円プットは保険として買っておく」ポジションを持つものなのです。

Next: 震災後の3月14日、オプション市場で起きた「想定外」の事態とは?



3月14日にオプション市場で起きた「想定外」の事態

今一度、東日本大震災直後の市場環境を確かめてみます。まず、大地震・大津波発生により、株価下落が想定されました。しかも、その程度は「恐怖」に支配されてわかりません。「日経平均先物は下がるのだろうけど、どれだけ下がるのか目星も付かない」状態です。このとき、オプションのプレミアムはどうなるでしょうか。

まず「買う権利(コール・オプション)」は相場下落の分だけプレミアムは安くなります。「行使価格」が現在の価格から遠くなるためです。しかし、相場は荒れ模様、「ボラティリティ」は上がっています。この分だけプレミアムは値上がりします。この両者が合わさるのですが、まぁ相場が下落しているので「コール」の価値は値下がりしやすくなります。

問題は「プット・オプション(売る権利)」です。相場は下落しています。「売る権利」のプレミアムは値上がりです。同時に「未来の荒れ具合」も上昇しています。しかも「恐怖」で満ちています。プレミアムは急騰です。この両者を合わせると、プット・オプションのプレミアムは「超値上がり」となります。

しかも、震災直後の相場では、市場参加者は極めて限られます。しかも、日経平均先物オプションなんて、もともと参加者は限定的です。震災前に「売る権利」を与えたプットの「売り手」が、「超値上がり」したプレミアムでも諦めて買い戻そうとしても、新たな「売り手」が出てきません。誰も中途半端な価格でプットを売って、自分が「恐怖」に支配されることなんて望みませんから。

それでも売買を成立させるとすれば、新たなプットの「売り手」は「超値上がり」した価格よりもさらに「超値上がり」したプレミアムでしか売ろうとしないはずです。買戻しを図る元々のプットの「売り手」は、将来への「恐怖」と、自分の損失がどこまで拡大するか分からない「恐怖」で満ちています。

これらが合わさって、震災直後の日経平均先物オプションに通常であればありえないような価格での売買が成立しました。

当時の日経平均は9,000円台。8,500円で売る権利(プット・オプション)のプレミアムは一時10,000円まで上昇する事態まで発展しています。10,000円払って「売る権利」を買い戻すくらいならば、いっそ「権利」を行使させた方がましです。日経平均先物だって0円より安くなることはないのですから。

東日本大震災で得られた大きな教訓

オプションは、権利の買い手にとっては「手数料(プレミアム)を払うのは癪だけど、最大の損も手数料分だけ」です。

一方で売り手は、「常に」プレミアムという名の手数料を手に入れることができます。しかも売買成立時点に確定します。これで相場が動かなければ万々歳です。

実際、オプションのプレミアムは売り手にとっても魅力的でなければ売買が成立しないため、「それなりに魅力のある」価格にて売買は成立します。「オプションは売り」と決める市場参加者が少なからず居るのも、その価値に魅せられるためです。

しかし、東日本大震災のように「めったにない出来事」が起きると、株価下落はもとより、「どれだけ今後動くのだろう」という「恐怖」の値が、それこそ「めったにない」水準まで上昇します。売る権利を与える、プット・オプションの売り手は、常に「めったにない出来事」への備えをしておくことが必要です。

Next: 最大のリスクは「恐怖」。投資家が備えておくべきこととは



どこまで損失が出るのかを常に把握しておく

日本は地震の多い国です。しかし、地震予知なんてできません。大切なのは「めったにない出来事」が起きた時に、どんな値動きとなるか、予め確認しておくことです。その上で、どこまで損失が膨らむか、これも予め把握しておくことが不可欠です。

ノーベル賞級の優秀な人でも、金融市場で大きな損失を被ることはあります。恐らく、今後ますます存在感を高める人工知能(AI)にしても、リスクは一緒です。

リスクを取らずしてリターンは得られません。しかし、無駄なリスクは避けるべき。特に、パニック・恐怖は市場参加者にとって最大のリスクです。オプション取引に限らず、パニックを避ける工夫を普段から心掛けるようにしたいものです。

「これと思った株を買ったら、『最大損失は買った金額』と割り切り、あとは相場を見ない」なんていうのも、中途半端に相場を見てパニックを起こさないための工夫の1つと言えるかもしれません。

最後に、改めまして、東日本大震災にて犠牲となった方々にご冥福をお祈り申し上げます。

【関連】なぜ買い豚も売り豚も自滅するのか?「次の暴落」が怖くなくなる投資術=鈴木傾城


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本記事は『マネーボイス』のための書き下ろしです(2018年3月13日)
※太字はMONEY VOICE編集部による

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