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安倍さんと黒田さんに教えたい「二つの貧困」の原因と対策=三橋貴明

この世界には、二種類の「貧困」がある。ここでいう貧困とは、人々が、「モノやサービスを入手することができない」という定義になる。どちらの場合も、国民の貧困は経済の失敗である。同時に、国民を豊かにする「経世済民」を政府が実現できていないという話で、いずれにせよ政権担当者は失格という話になるのだ。(『週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~』)

国民の貧困は経済の失敗――政権担当者は失格である

生産の不足と所得の不足、「貧困」には二種類ある

人間は、最低でも衣食住を獲得することができなければ、健全に生きていくことができない。特に「食」を入手することができない場合、普通に生命を喪失する羽目になる。農産物や水なしで生きていくことは、人間には不可能なのだ。

衣食住は当然として、人間が生きていく上で必要とするモノ、サービスには限りない。すなわち「需要」だ。

我々が生活する上で、必要不可欠なモノやサービスの需要を「満たせない」状況を、貧困と呼ぶのである。そして、国民や住民が貧困に陥り、真っ当な暮らしを営めない環境が「経済の失敗」である。

ところで、経済とは、「生産者が働き、モノ、サービスを生産し、誰かが消費、投資として支出することで所得が創出される」という、所得創出プロセスそのものだ(厳密には「実体経済」だが)。

上記プロセスにおいて、生産、支出、所得の三つは必ず同じ金額になる。

また、国内で生産されたモノやサービスの合計を国内総生産(GDP)と呼ぶ。同時に、GDPは支出、所得の総計でもある。生産面、支出面、(所得の)分配面というGDPの三つの面は、全て同額だ。これが、GDP三面等価の原則である。

経済とは、

の三つが、三位一体となって「実質的に」拡大することで成長する必要があるのだ。GDP三面等価の原則からは、誰も逃れられない。経済とは「生産」と「所得」を「支出(購入)」が結びつけることで成り立っていると書けば、分かりやすいだろうか。

上記を理解すると、いわゆる「貧困」には二種類あることが分かる。すなわち、生産の不足と、所得の不足である。

Next: 発展途上国に典型的な「飢え」のしくみ~インフレ型貧困とは



発展途上国に典型的な「飢え」の成り立ち~インフレ型貧困とは

国内の「生産」が不足し、国民が飢えに苦しむという形の貧困を、筆者は発展途上国型の貧困と呼んでいる。あるいは、インフレ型の貧困だ。

国民が飢えに苦しんでいるとはいっても、農業生産が不足しているとは限らない。農村で生産された食料が国民に届くためには、農家以外にも複数の生産者が「労働」をする必要がある。

読者はスーパーマーケットで野菜を買うとき、「農家が生産した野菜を買った」と、認識するだろう。

とはいえ、現実にはスーパーの棚に野菜が並ぶまでには、農家はもちろんのこと、野菜を仕入れた卸売業者、野菜を運んだ運送業者、野菜を消費者に売った小売業者など、複数の生産者による付加価値(モノ、サービス)の生産が行われているのだ。

すなわち、読者が野菜を買うと、農家や卸売業者、運送業者、小売業者など、複数の生産者に「所得」が生まれる。

野菜一つとっても、農地から国民の手元に至るまで、付加価値の「鎖」が連なっているわけだ。何らかの理由で、鎖の輪が一つでも欠けてしまうと、国民の元に野菜は届かない。

例えば、国内の道路インフラが未整備で、農産物を農村から都市部に運ぶ術がなかったとしよう。その場合、どれだけ膨大な農産物が農地で生産されていたとしても、国民に届けられることはない。

あるいは、交通インフラが整備されていたとしても、トラックがなく、ドライバーもいないのでは、結局、消費地に農産物を運ぶことはできない。農産物は、農村でいたずらに腐っていく事態になる。

インフレ型貧困に陥っている国は、農産物の生産が不足しているとは限らないのだ。消費者の口に農産物が入るまでには、様々な生産者の労働や投資の結果としての固定資産(道路、トラックなど)が必要になる。

発展途上国の多くは、人材としての生産者や、投資の蓄積が不十分で、付加価値の鎖が脆弱なのである。結果的に、国民が飢える。

Next: 支出の削減に走る政府が問題を深刻化させる~デフレ型貧困とは



支出の削減に走る政府が問題を深刻化させる~デフレ型貧困とは

逆に、人材が十分に存在し、交通インフラ投資等が進んだ先進国であっても陥る可能性がある貧困が、デフレ型貧困だ。デフレ型貧困に陥った国は、「生産」⇒「支出」⇒「所得」というGDP生成の三つの面全体が縮小し、国民がひたすら貧困化していく。

三つのGDPの面において、デフレ型貧困を牽引するのは「支出」の不足である。国民がモノやサービスに対する支出を減らすからこそ、生産が減り、結果的に所得が不十分になってしまう。

というよりも、GDP三面等価の原則により、支出を減らせば自動的に生産や所得も減ることになる。

支出が減ることで、「別の誰か」の所得が減ると、今度はその「別の誰か」が所得減少を理由に、次の支出を減らしてしまう。当然、さらに別の誰かの所得が減る。

支出を減らすとは、具体的には所得から貯蓄、借金返済に回すおカネを増やすという意味だ。

経済学的には借金返済も貯蓄に含まれるが、いずれにせよ、「国民が貯蓄を増やすと、その分、所得から消費や投資に回るおカネが減る」ことになる。所得とはモノやサービスに対する消費、投資からしか生まれない。

国民が所得から貯蓄に振り向けるおカネを増やす、経済学用語で言えば「貯蓄性向を高める」と、別の誰かの所得が縮小してしまう。経済がデフレーションに突入し、国民が貧困化するわけである。

デフレーションという経済現象の「問題の本質」は、物価の下落というよりは所得の縮小である。というよりも、物価下落は所得縮小の結果なのだ。

デフレ期には確かに物価が継続的に下落するのだが、それ以上のペースで所得が落ち、実質賃金が下落する。実質賃金の下落は、モノやサービスの生産の「量」が減っていることとイコールになる。つまりは、需要の不足である。

デフレの国では、農産物の生産は十分だ。国内の交通インフラも整備され、卸売業者も、運送業者も、小売業者も、国民の元に農産物を届けるための付加価値の鎖は確固として存在する。

ただ、消費者側が所得がなく、農産物を買えない。結果、インフレ型貧困と同様に、国民が飢える。

インフレ型貧困の解決のためには、国内の生産設備に対する投資、交通インフラに代表される社会基盤への投資、さらにはして人材投資等を「蓄積」するしかない。インフレ型貧困の解消には、ある程度の時間がかからざるを得ない。

それに対し、デフレ型貧困の国では、貧困問題の解決は簡単だ。国民が合理的に支出を減らし、誰かの所得を縮小させる悪循環に入っている以上、政府がモノやサービスの購入を増やせばいいのである。すなわち、政府の財政による需要創出だ。

ところが、不思議なことにデフレ型貧困に陥った国の政府は、国民に歩調を揃えるように「支出の削減」に走り、問題を深刻化させていく。国内で民間も政府もそろって支出を減らすのでは、所得縮小に歯止めがかからず、国民の貧困化も終わらない。

インフレ型だろうが、デフレ型だろうが、国民の貧困は経済の失敗である。同時に、国民を豊かにする「経世済民」を政府が実現できていないという話で、いずれにせよ政権担当者は失格という話になるのだ。

【関連】デフレの国・日本における「マイナス金利政策」の盲点=三橋貴明

週刊三橋貴明 ~新世紀のビッグブラザーへ~』(2016年2月27日号)より
※記事タイトル、本文見出し、リード、太字はMONEY VOICE編集部による

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