NY5番街のど真ん中、10億円コンドミニアムに日本人女性が住めたワケ

 

ハワイ大学を卒業後、NYCで活躍している日本人と結婚し、グリーンカードを取得しました。その後、日本での毛皮ブームに乗り大儲け!

その毛皮での儲け方:

バブル前の1987年頃、日本は好景気であり、毛皮が高級品として大人気。なんと、アメリカでの卸価格の7倍の金額で日本では販売されてました。これに目を付けた恵子さんは、毛皮を仕入れて日本で直販することを計画。並行輸入の先駆者なんです。

仲買人を通さず、NYCで仕入れた毛皮をなんとなんと、7倍でなく、激安の2倍で販売したのです。もちろんバカ売れ。そして大儲け! 大盛況の大成功を収めたのです。

さらに凄いのは、毛皮を買い取る資金がなかったので、アメリカの毛皮屋さんから「借りて」日本へ持って行ったのです。なんと借りたのです。

起業の秘訣ですね。やはり、ビジネスにとっては「仕入れ」が命です。

ビジネスは、1.仕入れ、2.企画、3.販売の順番なんです。仕入れが弱いと企画や販売に頼るのですが、仕入れが良いと、何もしなくても売れるのです。

その仕入れが、日本の販売価格の7分の1。しかも、買い取りでなく、借りたのです。これなら、ローリスク&ハイリターンですね。さすが、恵子さんです。

その後、1989年には自分自身のブランドである「アルテッセ」を5番街に設立しました。私が出会ったのはちょうどこの頃です。出会いのきっかけは…、なんとオフィスがお隣さんだったんです。

私も1988年に5番街という世界的有名な住所にName Valueを感じ、5番街のど真ん中にあるオリンピックタワーの9階の小さいさなオフィスで起業しました。同時期、恵子さんもアルテッセを同じオリンピックタワーの9階に開いたのです。

ちなみに、このオリンピックタワーは海運王のオナシス所有のビルで、今でも有名なビルのひとつです。

高級なビルですが、オフィスは低層階の9階であり、小さなスペースだったので、家賃は5,000ドル程度でした。今考えれば決して安くはないのですが…、バブル前の東京から来た私にはあまり高額には感じませんでした。

5,000ドルで5番街の信用が買えるのは安かったですね。そして、恵子さんとの出会いもあったので…。

出会いといえば、同じ9階にクロネコヤマトの宅急便のヤマトトラベルもあったのです。

当時の私は旅行会社(AVAの前身であるOcean Express New York,Inc)を起業していました。この旅行会社ですが、日本から来られる旅行客のためにホテルや送迎を手配する事を仕事としていました。航空券は全く販売していませんでした。

なので、お客様から航空券のお問い合わせがあると、ヤマトトラベルさんから卸してもらい、販売していました。そして、なんと、3年後の1991年には航空券の販売数がヤマトトラベルさんを抜いてしまいました

「お、こんなに売れるとは…。これからは直接航空会社から仕入れた方が儲かるかな~」と思い、アムネットを設立したのです。アムネットとして直接航空座席を仕入れたので、仕入れが強くなり利益もさらも上がっていきました。

5番街の「ブランド」、「仕入れ」命、そして「長い付き合い」が、起業には大切なんです。

image by: Shutterstock

 

NY在住となりの起業家中川扶二夫「誰でもなれる海外起業家論」』より一部抜粋

著者/中川扶二夫
日米での起業家。ノマドライフ家。29歳の時に単身ニューヨークへ渡り起業。現在では全米に6業種6社(20支店)を展開中。毎週水曜配信のメルマガには、起業やトラブル解決法などビジネスヒント満載です。
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