沖縄が背負わされた「不平等な歴史」は今に始まったわけではない

 

私は新聞記者時代に沖縄についても様々な取材をしてきたが、一番印象的だった沖縄の動きは、この頃。沖縄が日本に返還されたことを「沖縄復帰」(1972年)と呼ぶが、当時沖縄には「復帰協議会」があり、「即時無条件・全面返還」すなわち沖縄の基地を全て撤去して、核兵器も全部引き揚げようということが協議会含め沖縄の要求だった。

しかしながら日米両政府が発表したのは「核ぬき、本土なみ」。一見沖縄の要求が通ったように思われるが必ずしもそうではなく、沖縄に配備されていた核兵器は撤去するが、返還後の沖縄にも日米安保条約を適用。日米安保では、日本がアメリカに基地を提供することを取り決めしていたので、沖縄の米軍基地は引き続き存続される。その結果、沖縄に膨大な基地が残った。これに沖縄は怒り、東京の首相官邸で行なわれた沖縄返還調印式を沖縄代表は欠席。ここから沖縄と本土の間にはねじれができている

その後「核ぬき、本土なみ」と言われたのだが、その核を巡って国会論争が起こる。当時社会党などが「核を搭載した原子力潜水艦は寄港」していると追及。政府は「核はない」と主張。野党は「ということは、米軍の潜水艦が太平洋を渡って来る時、洋上で別の船に移し替えているのか」と問うたが自民党は回答できず…結局日米間の食い違いで、アメリカは「核兵器の持ち込み」を核兵器の配置や貯蔵はないためトランジット(寄港)は含まれないということで、沖縄としては騙されたという思いを持った。

そういう意味では沖縄は常に本土との約束で騙されてきたという思いがある。それ以外にも沖縄の現状復帰の費用を日本が肩代わりしたということを西山事件(元毎日新聞の政治記者西山太吉氏)ですっぱ抜かれたこともあるし、日米地位協定の賠償金の問題で米軍機などの騒音被害をめぐり、基地周辺住民への損害賠償総額221億円に上る賠償金全額を日本側が負担しているという事実も明らかになっている。

他にも、在日米軍が使った有料道路や民間港湾・空港の使用料金を日本政府が負担しており、記録が残っている1990年から現在までの総額は約149億円という問題などさまざまな問題がある。

アメリカとの地位協定は同じくヨーロッパでも締結されており、他国の事例はどうかというとドイツでは明らかにドイツの利益を上回る場合には返還請求出来るようになっているし、イタリア北部にあるアメリカ軍の飛行場はイタリア軍が管理、1日の飛行回数とルートを規制し騒音対策を徹底している。これらのことから欧米に比べ日米地位協定が不平等であることがわかる。

それらの事も含め翁長知事は日本は非常に沖縄の問題については不平等になっている。ここをもう少し考えてくれよと、基地を負担するだけでなく、そこを日本国民に訴えたいという事を翁長知事は言われたわけである。我々はここを重く受け止める必要があると思う。

今の沖縄が日本にとってどういう意味を持つのか、沖縄が独立して米軍がなくてもやっていけるのかという事を我々が日本全体として考えていくということをしないと本当に沖縄に寄り添ってものを考えているということにはならないように思う。

(TBSラジオ「日本全国8時です」12月8日音源の要約です)

image by: Shutterstock

 

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