拉致問題を「政治利用」してのし上がった安倍総理の罪と罰

 

政府が「5人を戻さない」と決めたのが間違い

私は蓮池のこの本を読むまで、5人を戻す戻さないについて安倍の態度がそんな風であったことを知らず、神話どおり、田中均や福田康夫官房長官が戻すと言うのに対し、安倍1人が断固反対して戻さないことで押し切ったものと思っていた。その上で私のこの件についての当時からの論点は、安倍が「5人を戻さない」と言い張ったことが間違いだというにあった。

本誌は、No.384(2007年3月14日号)「出口を見失う安倍外交」では当時山崎拓=前自民党副総裁が独自に追求していた日朝関係の膠着打開策に触れた部分で、こう書いた。

▼しかし、山崎のアイデアを含めてこうした現実的な解きほぐし策を検討すること自体、被害者・家族・支援者にとっては「裏切り」であり、最初から彼らと心情的に一体化している安倍にとっては出来ることではない。

▼もちろん、被害者・家族の心情に深く思いを致すことは大前提だが、それだけで直情的に突き進むのでは国としての二枚腰、三枚腰の外交姿勢にはならないのであって、安倍には最初(一時帰国の5人を「帰さない」と政府として決定した時)からそのような考慮が欠けている。

▼今回も、その直情性のために、すでに第1ラウンドにおいて、日米vs北の圧力図式を作り上げて拉致で進展を得ようという目論見は崩れ、逆に朝米vs日の図式で核問題を前進させて日本を孤立化させようという北の術策に嵌ることになった。安倍政権の間は拉致問題が一歩も進まないという事態に陥る危険さえ見て取れる。

さらに本誌は、No.402(07年7月14日号)「拉致敗戦?」でも次のように書いた。

▼安倍がこの問題のチャンピオンに躍り出たのは、言うまでもなく、5人の拉致被害者が「一時帰国」した際に、本人たちの気持ちは本当のところどうだったのか分からないが、家族・支援者たちの「帰らせない」という強い心情を重んじて、それを政府方針として決定するために官房副長官としてイニシアティブをとったことによる。

▼北への怒りと不信に満ち満ちている家族・支援者のその心情は当然であるけれども、それに政治・外交次元の論理を同化させることが正しかったかどうかは疑問の残るところで、当時[注]私は安倍にテレビ局の廊下で「あれじゃあ交渉を断絶させるだけでしょう。5人を一旦は返して、安倍さんが一緒に付いて平壌に行って自ら人質になって、被害者と向こうに残っている家族がじっくり話し合って結論を出すのを保証するようガンガン交渉して、早々と結論が出て帰国するという人は連れて帰ってくる、もっと話し合いが必要な人はその結論を尊重するよう北に確約させる──というふうにしたら、安倍さんは英雄になり、交渉は閉ざされずに済んだんじゃないか」と言ったことがある。

▼それは思いつきの一案にすぎなかったが、心情的な運動の論理を尊重しつつも、裏もあり表もある政治・外交の論理で打開する道筋はあったはずで、その点、安倍は直情的に過ぎた。

※[注]2002年11月17日サンデー・プロジェクトの「拉致問題、打開の秘策あり!?」に安倍が出演した時のことと記憶する。

繰り返すが、私は安倍が「戻さない」立場で一貫していたと思ってこういう言い方をしている。しかし、ここで私が、家族・支援者の運動の論理に政治家としての政治・外交の論理が引きずられてしまうのはおかしいのではないかと指摘していることについては、たぶん蓮池も同意するはずである。蓮池は冷静にこう書いている。

家族が感情的になるのは至極当然のことである。しかし、政府が感情で外交を行ってもいいのだろうか。「家族会」「救う会」の意向によって右往左往してはならない。理性的になるべきである。「政府がやるので、あなたがたは黙ってリビングでテレビでも観ていてください」、そういった頼りがいのある言葉を聞いてみたいものだ

(P.55)

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