認知症においては、患者さんの耐え難い苦しみが認知症そのものではなく、重篤な呼吸困難や疼痛など、副次的な身体疾患である場合も多いですが、そういった状況であっても、そして患者が言葉やしぐさで明確に意思表明できなくても、要望書があれば、医師は安楽死を適用できるようになります。
ただし、本人が意思表明できなくなった時点で安楽死の要望がまだ有効であるのかが曖昧だと、医師が安楽死を実行しない可能性が高いため、患者さんには、安楽死について主治医と継続的に話し合うことが推奨されます。
オランダ医師会の会長も、「医師が患者とコミュニケートできなくなった場合にどうするべきかが曖昧だった」と述べて、手引書が明確化されたことを歓迎しています。しかし、あくまでもケースバイケースですから、安楽死を実施できない事例がなくなるわけではありません。
「認知症の患者さんは混乱していますからね。本人が死にたくないと言うのに『以前、安楽死要望書をお書きになりましたから、やりますよ』というわけにはいきません」。認知症での安楽死をめぐる議論は、医師界の中よりもむしろ、医師と社会の間で起こっていることだそうです。
「医師の役目は、患者さん本人の意思に反した安楽死や、他人の権限で実行される安楽死が起きないように見張ることなのです」
自主的安楽死の会(NVVE)も刷新された手引書を支持しています。同会長は「安楽死要望書を作成し、安楽死について度々医師と話をしていた認知症患者であれば、ひどく苦しむようになった場合に安楽死を適用できることが確認できました。これで医師も、認知症患者における安楽死の実施を避けることはできなくなります」。
それぞれの立場に、それぞれの見方や思惑、期待があるようですが、従来は無理だと諦められていた認知症の患者さんに、安楽死という新しい選択肢が提供されたのは大きな前進です。
安楽死という制度には賛否両論あるでしょう。しかし、命は尊いという御旗のもとに、ひたすら延命させるだけが人を救う道ではないでしょうし、幸せな最期を約束する唯一の方法でもないでしょう。ともすれば、本人や家族、介護者たちを疲弊させるだけかもしれません。自分が自分を失ってしまったときのことを考えて、自分の人生にある程度の線引きをしておけること。きっとそれは、想像以上に多くの人の肩の荷を軽くしてくれるだろうと思います。
合法化とは、あくまでも選択肢の提供にすぎず、当然ながら、国民全員にその制度の実施を強制・強要するものではありません。異なる価値観やニーズを認識し、それらを満たす機会を提供するための手段にすぎないのです。
著者/あめでお(「ミナミも、ええよ。」連載。オランダ・アイントホーフェン郊外在住)
かれこれ10ンンン年。この国に住みはじめてから変わっていないのは、出た邦での連載だけになりました。いまだにオランダの奥座敷を目指して、ほふく前進中。完全なる地域離脱型につき、お届けする話は、ほぼすべて全国レベルの話題です。
image by: Shutterstock
『出たっきり邦人【欧州編】』
スペイン・ドイツ・ルーマニア・イギリス・フランス・オランダ・スイス・イタリアからのリレーエッセイ。姉妹誌のアジア・北米オセアニア・中南米アフリカ3編と、姉妹誌「出たっきり邦人Extra」もよろしく!
<<最新号はこちら>>