赤塚不二夫がきっかけ。タモリが司会、坂田明が演奏した伝説のフェス

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評論家の佐高信さんがメルマガ『佐高信の筆刀両断』の中で、自身と同い年の方々を紹介するシリーズ「同い年物語」。今回は、元祖お昼の顔であるタモリこと森田一義さんと、サックス奏者でミジンコ研究者でもある坂田明さんを紹介しています。

「同い年物語」 タモリと坂田明

タモリこと森田一義は早稲田の第2文学部西洋哲学科に入り、すぐにモダンジャズ研究会に入会してトランペットを吹いた。

マイルス・デイヴィスばりにである。

しかし、「マイルスのペットは泣いているが、お前のペットは笑っている」と言われて、その道を断念する。

大学も学費滞納で1年で除籍となったが、ジャズ研にマネージャーとして4年もいたとか。

のちに山下洋輔を通じて出会う坂田明も同い年である。

坂田はトランペットではなく、サックスを吹いた。

その坂田明と2014年春に『俳句界』で同い年対談をした。私が、

「前から私に似た種類の人だと勝手に思っていた」

と切り出したら、坂田は

「俺は名前が似ていると思ってた」

と笑って返す。

「それもあるけどね(笑)。坂田さんは、本業はサックス奏者だけど、ミジンコの研究者でもあるんだよね。広島大学の水畜産学部に入るという、一風変わった人」

と受けると、坂田は

「仕方なく入ったんだよ。俺は理系で船乗りになりたかったの。でも船乗りになるコースがなくなったの。すぐゲシュタルト崩壊だよ」

と答える。

ミジンコを見にヒマラヤのヤラ運河にも登ったらしい。

ミジンコとアイヌを一緒にするわけではないが、坂田はアイヌの人たちと30年くらい付き合っている。

北海道のツアーで阿寒湖や屈斜路湖に出かけているのである。

キッカケは、1981年だったかに赤塚不二夫からこう声をかけられたからだった。

「坂田、北海道のアイヌがな、屈斜路湖ジャズフェスティバルをやりたいって言ってるんだけど協力してくれるか」

赤塚からの依頼では否も応もない。

もちろん、司会は赤塚のところに居候していたタモリだった。

日本の先住民で、東北が蝦夷と呼ばれた時代から中央に迫害されて生き残ってきたアイヌに坂田は大共鳴する。

坂田によれば、ジャズミュージシャンは、昔はバンドマンと言われて社会的に差別を受けてきたからである。

新聞などにも、よく、「バンドマン、また覚醒剤で捕まる」とか書かれた。ある種、無法者扱いされたのだ。

「だから俺は、アイヌの連中はいいやつだ、と直感したし、学ぶことがたくさんあるなと思った」

こう語る坂田は、広島出身ということもあって、原爆については譲れない。

顔にケロイドのある同級生はいつも明るく笑っていたが、彼は一生懸命、世の中から白い目で見られないようにしていたのを知っていたからだ。

image by: Shutterstock

 

『佐高信の筆刀両断』第88号より一部抜粋

【第88号の目次】
1・筆刀両断 江上剛など頼できない
2・「同い年物語」 タモリと坂田明
3・雑記
4・インフォメーション

 

『佐高信の筆刀両断』

著者/佐高信(評論家)
高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家となる。著書に『保守の知恵』(毎日新聞社)、『未完の敗者 田中角栄』(光文社)など。相手が誰であれ舌鋒鋭く迫る様はメルマガ誌上でも遺憾なく発揮。“政治”に殺されたくない人は読むべし!
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