「ソ連崩壊後」のロシアで見た惨状
私が「賛成」したり「反対」したりするのは、「論理」もそうですが、「実際に見たこと」がベースになっていることが多いです。例えば、私は「3K移民の大量受け入れ」に昔から反対しています。これは、ロシアが「3K移民大量受け入れ」で大変なことになったのを、この目で見ているからです。
今回は、「保育士の給料を上げる」という話ですが、これに関連して。
1991年12月、ソ連が崩壊しました。翌92年は、2,600%のインフレでした。これは、物価が1年間で「26倍になった」という意味。別の言葉で、「貯金の価値が1年間で26分の1になった」。たとえば、1億円貯金があった。その価値は1年後、380万円相当になってしまった。国民怒りますね。
その後、ロシア国内は大変なことになっていきます。もっとも「弱者の立場」におかれたのは、
・警察官
・軍人
・教師
・医者
・保育士
などでした。ロシアは、ソ連時代「共産国家」。全国民が「公務員」でした。92年から急激な「民営化」が行われていきます。しかし、上に挙げた7つの職種の方々などは、かわらず国の管轄下にある(今では、民間の学校、病院、幼稚園、保育園もあります)。ところが、ソ連崩壊で国に金がない。金がないから、予算を大幅に減らす。結果、彼らはとても「貧しく」なってしまったのです。
きれいごとは抜きにして、貧しさは、一部の人を悪に駆り立てます。警察官は90年代、外国人を見つけると、片っ端から「職質」していました。法的にちゃんとした身分の人でも、イチャモンをつけ、「拘留するぞ!」と脅し、事実上「カツアゲ」をしていたのです。私も、何度か止められ、金を巻き上げられました。知り合いのベトナム人は、1日に3回も止められ、家に帰るまでに、「財布が空になった」と嘆いていました。今はずいぶんマシになりましたが、90年代、外国人はロシアの警察官をとても恐れていたのです。
軍人の汚職も、話題になりました。記憶に残っているのは、「将軍が、兵士たちに家を建てさせていた」という話。もちろん、「タダ働き」です。病院に行くと、「賄賂を渡さなければ、見てもらえない」ような状況になりました。学校や、幼稚園、保育園は、金がないので、さまざまな口実を見つけ、親にお金を請求せざるを得ない状態になりました。
ロシアは90年代こんな状況でしたので、ソ連時代「自由」「民主主義」にあこがれていた人たちも、一瞬で幻滅したのです。そして、国民は「秩序」と「安定」を求め、KGB出身のプーチンを心から歓迎しました。
私は90年代のロシアを見て、心から思いました。
・警察官
・軍人
・教師
・医者
・保育士
などなどが貧しくなると、「国家はボロボロになる」と。