朝鮮で「聖者」と呼ばれた日本人。退廃した農村を復興させたその半生

 

「鶏が医生を生んだ」

37歳の貧しい小作人がいた。妻と3人の幼い男の子を抱え、二間しかない草葺きの小屋に住んでいた。しかし重松の指導どおりに鶏を飼い、どしどし卵を組合に持ってきた。やがて養鶏貯金は27円75銭になり、もうすぐ牛を買える額に近づいた頃、重松に手紙を出した。

…私は理事様の公益を広く施そうという高義に副(そ)いたいと思います。私は来る4月10日に平壌医生講習所に入学することを決心いたしました。

 

その学費捻出のために養鶏貯金を引き出したく思います。理事様にこのことをご了承いただければ、小生はそのご恩は永久に忘れません。

重松は驚くとともに、感激した。改めて調べてみると、医者にかかれない貧しい人のために医生になろうと毎晩漢方医の本で独学していたという。

平壌での1年の苦学の末、総督府より医生の免許が交付された。重松からの手紙でこの事を知った京城日報社長の松岡正男は感激して、その手紙を新聞に4段抜きで紹介した。そこでは「集落では、鶏が医生を生んだなどと喜んでおります」と重松は喜びを語った。

「軍隊はいながらにして農村振興に役立つわけです」

昭和5(1930)年の春、重松が平壌に出てきた際に、斉藤理事長に第77聯隊に連れて行かれた。重松の説明を受けた白石聯隊長は「朝鮮の農村で生産された野菜や卵を、そうした産業団体から納めてもらえば、軍隊はいながらにして農村振興に役立つわけです」と語った。聯隊との間で月7,000個もの卵を収める契約が交わされた。

ある時、軍事演習に合わせて、2,000個もの大量注文が電報でもたらされた。重松は組合の在庫を調べたが、その半分もない。考えた末に、重松は近くの小学校の菅校長を訪ねた。

菅校長は50歳近くになって、教育者としての最後の舞台を朝鮮人少年少女の教育に捧げようとやってきた人物である。そして雛を育てることが少年少女の情操教育にもつながると、生徒の家庭でも養鶏貯金を奨励していたのである。

重松は、菅校長に事情を話し、朝礼の時間に全校生徒に各家庭での卵をあるだけ持ってくるように伝えてくれないか、と頼んだ。菅校長は「いいですとも、さっそくやりましょう」と快諾した。こうして400人の生徒が、めいめいの家庭から卵を持ち込み、軽く2,000個が集まって演習地に送られた

軍関係では、さらに航空隊、高射砲隊、病院などが江東の卵を買ってくれるようになり、販売数は飛躍的に増加していった。昭和2年の鶏卵の販売数は993個だったが、昭和11年には30万個を軽く超えるようになった。

それまでに養鶏貯金で購入された牛1,000頭、豚2,100頭、土地2万5,000坪、さらに進学資金、結婚資金、家の建て替えなどに使われ、江東農民の生活は格段に向上した。また江東の成功を見て、同様に養鶏を始める地方が数多く現れた

「実は、理事さんにお礼をしようと、頌徳碑を建てました」

副業としての養鶏が軌道に乗ると、重松はさらに女性たちにハングルを教えたり、村人が集まって将来を論じあうための集会所を建てることを提案した。それを受けて、村人たちは朝1時間、早起きして、自力で会堂を作り上げた。こうした作業が勤勉と共同の精神を育てていった

昭和11(1936)年2月11日の紀元節、3番目の模範集落であった芝里が一番の更正集落として、知事から表彰された。芝里は歓喜の渦に包まれ、重松の喜びも一入(ひとしお)であった。

3月の終わり、芝里の代表たちが組合にやってきて、重松に次の日曜日に集落に来てくれ、と頼んだ。「なにがあるんです?」と聞くと、「実は、理事さんにお礼をしようと、頌徳碑を建てました」という。重松は呆然としたが、もう碑は出来ているのだから、行くしかなかった。

昭和13(1938)年6月、重松に転勤命令が出た。江東での実績が高く評価され、京城の金融組合聯合会本部で、後輩の育成をせよとの辞令である。遠方からも組合員たちが押しかけ、名残を惜しんで送別会を開いてくれた。長老の1人は「理事さん、家族の食べる分はわしらが出すから、残ってくれ」と泣き声で言った

その後、重松は金融組合の教育部長などを努めて、後輩の育成に邁進した。戦争が終わると、朝鮮総督府関係の有力者として逮捕状が出たが、養鶏で学資を得て出世した人物たちが密かに手配して重松を日本に脱出させることに成功した

文責:伊勢雅臣

 

 

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣
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