【京都案内】ファンなら一度は訪れたい。源氏物語ゆかりの名所7選

 

清凉寺

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image by:京都フリー写真素材

光源氏のモデルの1人と言われているのが嵯峨天皇の皇子源融みなもとのとおる)です。この清凉寺は、彼の別荘跡地に建てられたお寺です。一時期左遷させられ須磨などに住んでいるのですが、数年ぶりに帰京した光源氏は嵯峨に御堂を建てます。葵の上との間に出来た息子夕霧が元服します。養女として迎え入れていた六条御息所の娘は冷泉帝(藤壺との間に出来た息子)と結婚するようになります。光源氏の周囲は賑やかになものとなり自身も太政大臣に出世します。光源氏が最も栄華を極める頃です。

河原院跡

河原の院は、源融の理想郷の邸宅があった場所です。源氏物語の中では六条院(六条御息所から拝領した敷地に建てた邸宅)の名前で登場しています。この六条院の池に鷁首舟(げきしゅせん)を浮かべ皆と宴を楽しんだと描かれています。春夏秋冬の4つの庭をしつらえ、紫の上・花散里・秋好中宮・明石の君をそれぞれの季節の邸宅に住まわせたと伝えられています。その豪快で壮麗なお屋敷は当時から広く世に知れ渡り、「河原の左大臣」と呼ばれていたほどでした。

鴨川から水を引き入れて池をつくっただけではなく、陸奥国の塩釜の浦の景色を庭に取り入れました。なんと難波からわざわざ海水を運ばせて池に湛え、塩焼をさせてその景色を楽しんだそうです。そして、水底には海に住む魚や貝が飼われていたという本格的なものでした。

そんな光源氏が残した一句は百人一首にも選ばれています。

「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰(たれ)ゆゑに乱れそめにし われならなくに」

現代語訳
陸奥で織られる「しのぶもじずり」の摺り衣の模様のように乱れる私の心。いったい誰のせいでしょう。私のせいではないのに(あなたのせいですよ)。

心に秘めた片思い、「忍ぶ恋を詠んだ歌です。恋してもかなうはずのない高貴な人や他人の妻への慕情に心を乱す男のことを歌った歌です。作者名は光源氏でも源融でもありません。ご存知「河原の左大臣」です。彼は太政大臣まで上り詰めた男ですが、やはり河原の左大臣としての方が有名なのです。

どうしようもない男と言えばそれまでですが、当時の貴族社会では特別珍しい生き方ではなかったのでしょう。平安時代、400年と言う長い間貴族中心の穏やかな時代だからこそそのような暮らしが出来たのでしょう。894年に遣唐使が廃止され、国外との交易がなくなると一気に国風文化が花開く時代でもありました。日本的な和の文化がとても華やかに発展する時代に優雅に生きた貴族の物語・源氏物語は日本文学の最高峰の作品です。

とても長い作品ですが、私は是非漫画で読んでみることをおススメします。私が源氏物語を夢中で読んだのは「あさきゆめみし」という漫画でした。平安絵巻のごとく描かれた宮中の様子や十二単などの衣装を目にしながら楽しめるのでとてもリアリティーがあります。

古典文学だからといって重く考える必要はありません。文学もエンターテインメントの1つなので楽しむものであり、楽しいと思える方法で接すればいいのです。日本人であるならば是非とも一度は源氏物語の面白さを味わって頂きたいと思います。

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

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