ビジョンと理想
良いビジョンは時代を切り開く事業であって、その事業が出現した時には社会がその登場を大歓迎します。
その事業が大歓迎されるとかどうか見分ける方法があります。それは、その事業の前に「夢の」を付けてみることです。たとえば「夢のディズニーランド」のように。そのフレーズがしっくり感じられたら、チャンスがあります。
トヨタやパナソニックやホンダが、製品をつくり始めたときは夢の商品づくりでした。「夢のトヨペット・クラウン」「夢の三球式ラジオ」「夢のドリーム号」のように商品が売り出された時には、その商品を持っていることが多くの消費者の垂涎の的でした。
「トリスを飲んでハワイに行こう」はサントリーのヒット・キャッチコピーですが、「夢のハワイ」であった時代にはドキンとする言葉でした。ビジョンは、「夢」が語られなければ威力を発揮しません。また、顧客に対しての「夢」は当然ですが、従業員に対しても夢が語られなければなりません。
シャープは夢が語られなくなっていますが、トヨタやパナソニックやホンダなどは、ニュアンスはそれぞれ違うものの夢を語っている会社です。
パナソニックは昭和7年に、ほんとの創業とは異なり第1回創業記念式を挙行しています。そのときに、水道哲学が提唱されました「この世から貧乏を克服し、人々に幸福をもたらし楽土を建設することができる」と、250年計画という壮大なミッションとして述べらています。
ホンダには「The Power of Dreams 」のキャッチフレーズがあり、それこそ「夢」が標榜されている会社ですが、そのホンダには面白いエピソードがあります。
どんな超優良企業でも、その歴史の中には時として思いも知らぬ逆境を味わっています。
昭和29年は、マン島のTTレースの出場が宣言された年です。しかし、この時は倒産の一歩手前の時でボーナスをも充分払えない状況でした。そんな時に、何故こんな世界一を目指す夢が語られたのか。こんな八方ふさがりの時には、夢でも語らなければ心が萎えてしまうからと言うのが種明かしです。
しかしこの夢はチャレンジして3年後に125㏄、250㏄、1位から5位までの完全優勝が実現されています。日本の弱小の名もなき企業が、誰知られずの状況から飛躍して世界のひのき舞台に躍り上がった瞬間でした。
トヨタも夢から出発しています。創業者豊田喜一郎のこれからの日本の産業を引っ張っていくには自動車産業は興隆がどうしても不可欠だという思いから出発しています。
余談になりますが、トヨタにも大きな危機がありました。メインバンクに見放され、社長の退陣と大量のリストラを条件に大蔵省の支援で何とか倒産を切り抜けた時代があります。
企業ビジョンは、一国の経済環境を変えることすらあります。ヘンリーフォードは大量生産・大量消費のビジョンのもとに時代を一変させています。
大量生産方式(ベルトコンベアによるライン生産方式)により安価な自動車が供給され、高賃金政策(日給を2.34ドルから5ドルに)により自分がつくった自動車が購入できるようになり大量消費の道の開かれる切っ掛けがつくられて行きました。
賃金の上昇は、労働力確保のために他の産業の高賃金政策が追随・促進されることになり、アメリカの中間所得者層の形成につながって行きました。それと同じくして、大量生産、大量消費の産業経済の時代が開かれて行きました。
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