アベノミクスの憂鬱。精神的に向上心のない経済はバカなのか?

 

今後の経済学

その上に、AI技術やロボット技術などの発展で自動技術が確立すると半分の人が働けなくなり、50%の失業率となるとシリコン・バレーのベンチャー経営者が言う。

消費者が消費するためには、現金を労働で得る必要があるが、その労働する場所が自動技術の発展でなくなる。

このように、経済理論の根本を変えることが必要になる。アダム・スミスは「自己の利益の追求と他者からの共感の両方を人は求めている」というが、これを理論の真ん中に持ってくることになると見る。

経済学も大衆心理学であり、人の気持ちよさを中心に考えることが必要になっている。動物と人間の違いは、仲間といることが好きがどうかである。

人間は仲間と協同で作業をして、その結果、得られる収穫物を分けていたので、仲間から認められることに大きな価値を見つけて、その価値を得ることに、喜びや気持ちよさを感じる生き物である。

アダム・スミスのいう共感である。しかし、人間は生きているので自己の利益も重要である。優先レベルは、自己が生きていくだけの糧を得ることであるが、それ以上は、仲間から認められる、仲間の困っていることを助けるという行為に、心の喜びを見つけている。

そして、FacebookやLINEが「人に好かれる欲望」をお金に換え成功していることでも、この共感は現在も重要なのである。

しかし、自動技術で自己の生きていく糧を得ることができる労働がなくなる。ここも問題であるが、自動機械で生産量は確保できている。

江戸時代は、中期以降、成長がほとんどない時代になる。この時代には、社会秩序を維持する観点から論語を庶民まで教育し、武士階級には武士道を広めた。商人には、石門心学という倫理経営学を広めて、それぞれがその基準を守り、基準に貢献したものを褒めて、社会を維持していた。また、労働を月の半分づつに分けて武士は勤務していたなど、労働の分配をしている。

このような社会のあり方が、今後、求められることは、経済学者スティグリッツ氏も考えているように感じる。スティグリッツ氏は「利子率に重きを置きすぎている。重要なのは信用が中小企業に届くかだ」などと述べている。また、規制が重要という考え方にも、それを見る。

しかし、長期停滞社会の歴史がない欧米では、どういう社会になるのかピンと来ていないようだ。

江戸時代中期の思想は、実心・実学の思想で、心と糧の2つの調和を述べている。この江戸期の実心・実学の思想の現代への適合化を行う必要があると思うがどうであろうか?

image by: Shutterstock

 

国際戦略コラム有料版』より一部抜粋

著者/津田慶治
国際的、国内的な動向をリアリスト(現実主義)の観点から、予測したり、評論したりする。読者の疑問点にもお答えする。日本文化を掘り下げて解析して、今後企業が海外に出て行くときの助けになることができればと思う。
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