激辛なのにまた食べたい。中毒者続出「蒙古タンメン中本」のヒミツ

 

「最初はあんまり辛くて残しちゃった。 でも2度目に行ったときには、このスープやめられねえ、と。 もう、どうにもこの味が好きでね。中本のラーメン食べるために生きていた、みたいな日々もあった」

だがこの「中国料理中本」は、1998年に惜しまれつつ閉店。

困ったのは白根さんだけではないだろう。 辛いだけのラーメンは他にいくらでもある。 だが「蒙古タンメン」はこの店でしか味わえないのだ。

「すぐに連絡して後を継ぎたいと。 もともとラーメン屋をやりたいって思っていたから。 もちろん、最初は門前払いでした」 

白根さんは何度も繰り返し思いを伝えたが、頑固な先代は首を縦に振らない。

白根さんはここで一度諦めたという。

だがあるとき、どうしても中本のラーメンが食べたくてたまらなくなった。

再び中本さんへ電話し、材料費を持つからオレのために作って、と懇願した。

しかし、その思いは聞き入れられなかった。

白根さんは落胆しながら“お愛想的な気持ちで”こう言った。

「ラーメン屋はやりたいと思っていますから、今度ラーメンの話を聞かせてくださいって。 そしたら『じゃあ今度酒でも飲むか』と。 それから何度か酒を飲んだ。 そのころかな、もしかしたら継げるのかなと思ったのは。それで、やっぱり中本やりたいですって言ったら、『今でも本当にやりたいという気持ちがあるなら』ってね」

そこからはトントン拍子に話は進んだ。 中本さんの自宅で作り方を修業し、開店準備は着々と進んだ。 だが「中国料理中本」の名で店を開くことは許されなかった。

「でも最後には『やっぱり中本でやれ』って。 それでも『中国料理中本』はダメで『蒙古タンメン中本』にしろと。 最初は格好悪い名前だなぁと(笑)。今ではインパクトのある店名だって感謝していますね」

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