【日本人7名死亡テロ】世界各国の、誤解を与える報道から感じた怒り

 

まず、バングラデシュという国の独立の経緯ですが、このメルマガの「フラッシュバック」で追っていたように、バングラは元々パキスタンの「飛び地」であり、東パキスタンと呼ばれていました。それが、1970年にサイクロンによる甚大な水害に見舞われた際の西パキスタン政府の冷酷な対応から、激しい独立運動が起き、最終的には「印パ戦争」という形でインドの支援を得て1972年に独立しています。

この際に独立運動を率いたのが、ムジブル・ラーマン氏の「アワミ連盟」でした。ラーマン氏は大統領のち首相として、新国家の建設に努力しますが、貧困からの脱出は難しく政情は流動化、最終的には75年に軍部のクーデターで一家全員が暗殺されてしまいます。

その軍政の流れから出てきた右派政党BNPがやがて民政移管を果たしますが、BNPも結果を出すことができず、反対にアワミ連盟が国民の支持を拡大していきます。最終的には、BNPのジア政権を、アワミ連盟のハシナ党首が選挙で破って現政権が成立しているのです。ちなみに、現職のハシナ首相は、ラーマン氏の娘で、一家の中で唯一国外にいたために軍の虐殺から逃れた人物です。一方のジア氏も女性です。

そのハシナ政権ですが、先進国からの投資を積極的に受け入れるとともに、「デジタル・バングラ」という政策を掲げてハイテクを導入した経済成長を目指すなど、意欲的な国家建設を進めています。ですが、問題はバングラが建国時から抱えていた政治的な対立です。

重要なのは、アワミ連盟もBNPも「世俗政党」であり、政教分離が大きな方針です。それは、そもそもベンガル人というのはヒンドゥー教徒と、イスラム教徒が混在する中でベンガル語を紐帯とした民族意識を持っていたためで、英国が植民地の「分断支配」を企図して両宗派を分断した後も、「ベンガルは一つ」という中で、西ベンガルにはイスラム教徒はゼロではないし、バングラになった東ベンガルにも10%程度のヒンドゥーがいるからです。

さて、実際のバングラの政局は大中小の政党が乱立する複雑なものですが、それを単純化してお話するならば、問題は二大政党が「世俗政党」である一方で、ジャマティというイスラム主義政党が存在しています。このジャマティは潜在的な支持率で10%前後はいる中で、現時点では下野してBNPと一緒になって与党のアワミ連盟に対抗する格好となっています。

これに対して、アワミ連盟は弾圧を強化しています。例えば、バングラが西パキスタンと「決裂」して独立を決意する過程で、パキスタンはバングラに対して「ベンガル語を捨ててウルドゥ語を強制」するなどという決定的なことをやって憎悪の応酬となり、結果的に悲惨な事件も起きています。基本は、パキスタン側は暴力的に警官隊と軍隊で独立派を鎮圧しようとしたわけです。

問題は、ジャマティにはその際に「イスラム国家を防衛する」ために「パキスタン側につく」という選択をした人物が残っていることです。これは、どうしようもない事実なのかもしれませんが、ハシナ現政権は、この「70年から72年の独立戦争」当時の殺傷行為関与に対して、ジャマティの幹部に死刑判決を出したのです。これは2013年のことであり、以降、現政権とジャマティの関係は一気に悪化していっています。

そんな中で、2つの問題があります。

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