なぜデパ地下にはストレスが多いのだろうか。食品販売専門のマネキンとして数十年のキャリアがある女性はこんな話をしてくれた。
「お客様は神様なんて思っていません。お客様は王様です」。つまり、神様はやさしい慈悲の方だが、王様は自分に傅く人にだけ恩恵を与える存在で、自分の意にそぐわなければ攻撃の対象となり排除される。お客様はお金を払っていることで、この「王様の権利」を獲得したかのように振る舞う、というのが彼女の見立てであるが、「9割が王様だけど、1割は神様もいます。その神様は『大変なお仕事ねえ、頑張って』と言ってくださるので、その言葉で頑張れるんです」という。
商品を説明し、確認をし、お金を受け取り、会計をする、というプロセスにおいて、レジを打ち間違えたり、商品を落としたり、おつりを間違えたり、そんなミスはあってはならないのだが、それを叱責の対象にする王様は多い。
この王様が、デパ地下の雰囲気に緊張感を与えているような気がするのは私だけだろうか。それが、心の体調を崩す原因にもなりかねないことを、私たち社会は気づいているだろうか。
日本のおもてなしの精神は素晴らしい─。これは何度も海外からの来訪者から聞いたし、日本の中でも誇り高き文化として、繰り返し語られてきた。しかし、デパ地下で跋扈する王様を眺めていると、「おもてなし」の賛美が、王様というモンスターを作っているような気がしてならない。
そこにはお金を絶対視し、お金を払えば、権利を得る文化が定着してしまっている。人を急かす、間違いを許さない、言葉を発することなく顎で指図する、ミスは叱責する。こんな圧力が常態化しているデパ地下の食品売り場で、長年続けている販売者は百戦錬磨の戦士にも見えてくる。同時に戦士に慣れない人は淘汰され、やはり病の門口に立つ人もいるであろう。
どんな国でも市場は賑やかで、それは豊かさの象徴だから、売り子が声を張り上げて、威勢のいい客との掛け合いは、むしろ微笑ましい風景である。だから、デパ地下は活気があったほうが社会にとっては活力になるのは確かである。
私たちが気を付けるべきなのは、買い手として、販売者を気遣う「おもてなし」、寛容の気落ちを忘れず、対話する1市民であるという自覚ではないだろうか。
メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』より一部抜粋
著者/引地達也
記者として、事業家として、社会活動家として、国内外の現場を歩いてきた視点で、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを目指して。
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