卵かニワトリかみたいな話しですが、同居に当っての心理的なハードルは子供のころ老人を身近に感じていたかに依るんです。私もオットもトシヨリと一緒に暮らした経験があるので、このハードルが低いんですよね。
ですが、トシヨリが身近でなかった人にしてみると、老人というもの年を取るということ自体が理解不能で珍しく、奇異な感じがしてしまうでしょう。なんて言うか、こう、「上手く触れない感じ」ってヤツでしょうか。
そして、親世代が同居を選択しなければ、その子供に老人の免疫がつくことはなく、したがっていつか老人になったあなたとも同居するはずがないということです。だよね?
「でも、オトシヨリなら近所や地域にいるし…」と思う方もいるかもしれません。老人に対する免疫とは、別の言葉でいうと「老化の過程をつぶさに見てきていること」を言うんですよ。子供の成長が「出来ることが増えていく過程」なら、大人の成長とは、「出来ないことが増えていく過程」を言うのです。すなわち老化と同義です。シビアですが、これが現実です。
- 自転車の運転が
- ビンのフタを開けるのが
- トリセツを読むのが
- 濡れた洗濯ものを持ち上げるのが
- 階段を上がるのが
- 親しい友人の名前を思い出すのが
だんだん出来なくなっていくんです。机上で…頭で解っているだけではなくて、身体が徐々に崩壊していく過程を近くでハッキリ見ていないと、免疫はつかないんですよ。
同居におけるトシヨリの役目は、出来ないことが増えていく有様を若い世代に見せておくこと。命の終わりを見せることが、将来トシヨリとの同居を選択させる免疫になるんですよ。
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