誤解された「尊皇攘夷」。日本を救った吉田松陰が遺したもの

 

「けふの音(おと)ずれ 何ときくらん」

しかし、その松陰も人の子自分が死罪となった事を親が聞けばどれほど悲しむだろうか、と思わざるを得なかった。処刑の7日ほど前には家族あての手紙に、次のような歌を贈っている。

親思う心にまさる親ごころけふの音(おと)ずれ何ときくらん
(子が親を思う心以上に、子を思う親は、今日の報せをどのように聞くのだろう)

この頃、萩の実家では、長男の梅太郎と三男の敏三郎が病床にあり、看病に疲れ切って仮眠をとっていた両親は、同時に目が覚めた。母親はこう父親にこう言った。

私は今、とても妙な夢を見ました。寅次郎が、とてもよい血色で、そう……昔、九州の遊学から帰ってきた時よりも、もっと元気な姿で帰ってきたのです。「あら、うれしいこと、珍しいこと……」と声をかけようとしましたら、突然、寅次郎の姿は消えてしまい、目が覚めて、それで夢だったとわかったのです。

「もしかしたら寅次郎(松陰)の身に何かあったのではないか」と心配していたら、それから20日あまりも経って、江戸から松陰が「刑場の露と消えた」という報せが来た。指折り数えてみると、まさに夢を見たその時に松陰が処刑されていた

松陰が野山獄から江戸に送られる際に、一晩だけ家に帰る許しを得て、家族と最後の面会をした際に、母親が「もう一度、江戸から帰ってきて、機嫌のよい顔を見せておくれよ」と言うと、松陰は「お母さん、そんなことは、何でもありませんよ。私は、きっと元気な姿で帰ってきて、お母さんの、そのやさしいお顔をまた見にきますから……」と言った。

母親はその言葉を思い出して、後にこう語っていた。「たぶん寅次郎は、その時の約束を果たそうとして、私の夢のなかに入ってきて、血色のよい顔を見せてくれたのだろうね。親孝行な寅次郎のことだから、たぶん、ほんとうにそうなのだろうと、私は思っているよ」

「愛(かな)しき命積み重ね」

昭和の歌人・三井甲之(こうし)は次の絶唱を遺した。

ますらをの愛(かな)しき命積み重ね積み重ねまもる大和島根を
(男たちが悲しい命を幾重にも積み重ねつつ守り続けてきた、この大和の国を)

松陰や高杉晋作らをはじめとする幕末に殉じた志士たちをお祀りするために創建されたのが招魂社」、のちの「靖国神社」である。そこには「国を靖んずる」ために積み重ねられてきた「愛(かな)しき命」が250万柱近くも祀られている。

正成や松陰の志は幾世代もの世代に継承されて、我が国を護ってきた。これからも日本を護っていけるかどうかは今後の我々の生き方にかかっている

文責:伊勢雅臣

image by: Wikimedia Commons

 

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【著者】 伊勢雅臣 【発行周期】 週刊

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