長野県民の心をひとつにする「信濃の国」が止めた「南北戦争」

 

満州へいった開拓団が、ハワイやカルフォルニア、そして南米に渡った移民達が望郷の思いで涙を流しながら歌ったであろう信濃の国、その信濃の国が小中学校ではわからないが、県内にいる一般の大人達は、近年どうもあまり歌わなくなっているらしい。そういえばこの私も4、5年は歌った覚えがない。それより以前は宴会で歌うこともあったが、歌うとすれば、その一番最後のお開きに歌うものと相場は決まっていたもの。

私が行ったのはもうかなり前だが、都市対抗野球で長野市代表が後楽園で戦った時、応援団のリーダーが「信濃の国」歌うよ、と指示があった時、おおッ! と思ったものである。多分、高校野球の甲子園でも歌われるのだろう。

1998年の冬季長野オリンピックがも終わってはや20年近く、県民にも長野オリンピックを知らない世代が増えてきた。そのオリンピックでは、開会式・閉会式で県下各地の祭りや伝統の行事・花火が広く紹介され、大成功裏に終わり県民の気分志気も大いに盛り上がったものである。

そして我が県歌「信濃の国」もこの上ない晴れやかな舞台で日本中、いやテレビの電波に乗って世界中に披露されたのである。そう、開会式と閉会式で日本選手団の入場行進の曲として会場に響いたのである。このときの会場やテレビを見ていた県民は、きっと誇らしげな気持ちではなかったかと思う。歌の後半では、会場の県民はみな合唱していたようだ。テレビを見ていた県民も、県出身者も。そうして「信濃の国」のよさをしみじみ再認識したのではないだろうか。

また以前、NHKローカルのドキュメントテレビ番組、「信州、激動の20世紀(教育編)」では「信濃の国」と明治以来の「南北対立」が取り上げられていた。見たと記憶している方もおられるだろうが。もっともサラリとした扱いだったが。

もちろん私達はたやすく「信濃の国」を忘れるといようなことはないだろうけれど、異郷の地でのみ生きている、歌い継がれるということにしてはならないと思う。

image by: Shutterstock.com

『安曇野(あづみの)通信』

『安曇野(あづみの)通信』

この著者の記事一覧はこちらメルマガはこちら

発刊以来10年、みすずかる信濃はアルプスの麓、安曇野を中心に信濃の光と風、懐かしき食べものたち、 野の花、石仏、植物誌、白鳥、温泉、そしてもろもろ考現学などを、ユニークな(?)筆致でお届け!

  •  この著者の最新記事をメールでお届け

  • 規約に同意して

print
いま読まれてます

  • 長野県民の心をひとつにする「信濃の国」が止めた「南北戦争」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け