ポツダム宣言を黙殺した日本にアメリカは次の矢を放ちます。
原爆投下です。
そして、ソ連も日ソ中立条約を破棄し北方から侵攻をはじめます。
日本はソ連に占領された場合、天皇制の維持も不可能になることを懸念しました。
ポツダム宣言は、アメリカの知日派によって、発表された無条件降伏の勧告ですが、そこには天皇制存続の可否については触れられていません。意図的に触れないことで、日本政府に国体を維持することをほのめかしたのです。
この隠されたメッセージに日本側は期待し、原爆の投下とソ連の参戦を受けてポツダム宣言を受諾したのです。
日本にせよ、アメリカにせよ本当の脅威は、ソ連だったのです。
このアメリカと日本との阿吽の呼吸による駆け引きで、日本はドイツのような分断国家にならずにすんだというわけです。
しかし、日本の植民地であった朝鮮半島には、参戦してきたソ連軍が南下し、戦後アメリカ側との間で分割統治が行われます。日本のかわりにドイツのように分断されたのは、皮肉なことに朝鮮半島だったのです。
ポツダム宣言を受諾した日本は、その後アメリカ主導の占領を受け入れ、その指導のもとで、戦犯が処罰され、日本国憲法が発布されます。
日本国憲法はポツダム宣言の骨子を取り入れて作成されます。
一方分断された朝鮮半島では、ソ連に支援された朝鮮民主主義人民共和国が大韓民国に侵攻し、朝鮮戦争がおこります。それは甚大な犠牲を朝鮮半島にもたらし、その後も緊張が続いたまま現代に至っていることは周知の通りです。
皮肉なことに、朝鮮戦争で日本はアメリカ軍の補給基地として産業が復興し、その後の高度成長のきっかけとなります。
こうして考えると、ポツダム宣言が日本の戦後史の出発点となったことがよく理解できるのです。
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