なぜ東芝はアメリカの原子力事業に参入したのか?
ことの発端は、2006年のことです。
この年、東芝は、アメリカの原子炉メーカーのWH社を買収しました。なぜ買収したかというと、東芝はアメリカの原子力事業に参入したかったからです。
当時、アメリカは、原子力発電に再び脚光が浴びせられ、「原子力ルネッサンス」というような状況にありました。
アメリカは、1979年のスリーマイル島の事故以来、30年間、新規の原発建設を認めていませんでした。が、環境問題の世論の高まりや、電力コスト高などの影響を受けて、原発回帰の機運が生まれてきたのです。
東芝は、この話に飛びついたのです。
東芝が、WHを買収したのは、この「包括エネルギー法」成立の翌年のことなのです。
順調なWH社
WH社は、アメリカでは最大級の原子炉メーカーでした。既存のアメリカの原子炉の多くは、WH社によるものであり、そのメンテナンスだけで莫大な収益を上げていました。
WH社は、アメリカの原子力政策にも精通しており、原子力発電を規制していた「アメリカ原子力規制委員会(NRC)」ともツーカーの仲だとされていました。
そのためか、東芝の買収後、WH社は、次々にアメリカの新規の原子力発電所建設を受注しました。
2008年4月、WHは、アメリカ・サザン電力の子会社であるジョージア電力(ジョージア州)と、2基の新規原子力プラントの建設に関する契約を締結しました。
さらに2008年5月には、WHはアメリカ・スキャナ電力の子会社であるサウスカロライナ・エレクトリック&ガス・カンパニー(SCE&G)と2基の新規原子力プラントの建設に関する契約を締結しました。
また中国でも2007年に4基の建設を受注していました。
ここまでは東芝の目論見通りだったといえます。
しかし、この事業計画は順調には進みませんでした。
ご存知のように、2011年に東日本大震災が起きてしまったからです。
福島第一原発の事故により、WHの原発建設の着工は大幅に遅れました。
サザン電力、スキャナ電力のいずれの原発も、2011年に着工の予定でした。
しかし、アメリカ原子力規制委員会(NRC)の承認がなかなか下りなかったのです。
もともとアメリカでは、2001年の同時多発テロの影響で、飛行機が激突しても耐えられるような厳しい設計基準がありました。それに加えて、福島第一原発の事故を踏まえ、巨大な自然災害にも耐えられるような安全性が求められるようになったのです。
そのため、NRCの承認が下りたのは、ようやく2012年のことなのです。
そして、着工されたのは2013年です。
もちろん設計の変更や工期遅延により、莫大な追加費用が発生しました。
この費用負担を巡って発注元の電力会社や建設請負をしている会社「S&W」と訴訟騒ぎとなり、着工はさらに遅れることになりました。