劉暁波さんとは3 ~受難の時代
劉暁波さんに受難の時代がやってきました。1989年6月6日、「反革命罪」で投獄されてしまったのです(1991年1月に釈放)。
民主化のリーダーたちが次々と西側諸国に逃げ出すなか、劉さんは中国にとどまることを決意します。釈放後も北京に住み、人権運動・民主運動を継続していきます。
- 1995年5月~96年1月、ふたたび入獄
- 1996年10月~99年10月、またもや入獄
釈放後は、まためげずに文筆活動、人権運動・民主運動を継続。
- 2008年12月、中国の民主化を求める「零八憲章」を起草
「零八憲章」の主な主張は、
- 憲法改正
- 三権分立
- 司法の独立
- 人権保障
- 公職選挙
- 結社の自由
- 集会の自由
- 言論の自由
- 宗教の自由
等。私たちにとっては、「当たり前」の主張。しかし、中国で、こんなことを発表してはいけないのです。これにより、劉さんはまたもや逮捕されてしまいます。今度の罪状は「国家政権転覆扇動罪」、懲役11年の判決。
この経歴を見ると、天安門事件以降は、「民主化運動をする」「刑務所に入れられる」「出てきて民主化運動をする」「また刑務所に入れられる」の繰り返し。この不屈の闘志と強靭な意志。到底真似できるものではありません。
苦難の道を歩む劉暁波さんですが、2010年10月8日、長年の民主化・人権促進への貢献が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。しかし、それで中国での待遇がよくなるわけではありません。彼は、死の直前まで獄中で過ごすことになります。今年5月末、末期の肝臓ガンと診断されました。6月末、仮出所して入院。7月13日に亡くなりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
劉さんは亡くなりました。しかし、全世界で、彼と彼の考えへの支持がひろがっています。そして、劉さんに対する扱いがひどすぎたということで、中国に対する非難の声があがっています。
劉さんの夢は、早晩実現することでしょう。