それではなぜ、自民一強ではなく「安倍一強」という言葉を使うのか。それは中傷を目的とした「レッテル」です。これについても1分で説明します。
ドイツは先の大戦に深い反省をしている。とはレトリックで、戦後のドイツ(西ドイツ)は、その罪をナチス党や独裁者ヒトラーに押しつけています。
第一次世界大戦で、天文学的な賠償金を旧ドイツに押しつけ追い込んだことが、ナチスを生み出したという反省もあり、その態度を追及しないことは欧州諸国のひとつの大人の知恵とも言えます。
これの反対が安倍一強というレッテルです。
民意の集合体である自民党ではなく、安倍晋三という個人を「悪魔化」することで、批判の構造を単純化し、一般大衆を扇動、洗脳しようという手口です。実体を示さぬまま風評を拡散している。それが「安倍一強」です。
レッテル貼りの怖さは「モリカケ」による支持率低下に明らかでしょう。つまり、倒閣運動、倒閣のための政治工作といっても過言ではありません。
冷静に事実を照らせば「レッテル」の洗脳から自由になることができます。
森友学園では安倍昭恵夫人から金を貰ったと主張する容疑者はいても、安倍家にお金をあげたという人はおらず、加計学園においても同じです。かつて田中角栄の「金権政治」がありましたが、安倍総理にそれほどの力はありません。
確かに安倍政権は改憲に必要な3分の2の勢力を保持していますが、衆参ともに公明党などの協力があってのことです。
対して日本の憲政史上、もっとも議席数を確保したのは2009年の「政権交代選挙」を制した民主党で、単独で308議席を獲得しています。
このとき「民主一強」「鳩山一強」と批判調に報じたメディアはありません。
党内に批判する勢力がない、安倍総理の対抗馬がいない。だから安倍一強だ、とは屁理屈です。
完璧な政治などありません。多少の問題を孕みながら、外交、安保、株高、就職率アップ、復興支援と、概ね順調に国家運営が為されているなら、急いでリーダーを変える必要性はありません。









