そこで、
「もしも自分から日本という要素を取り去ったら、果たして、今までのように受け入れられるだろうか?」
そんな疑問を持ち始めます。
それから、プロットはそのままで、舞台をイギリスにするということで、『日の名残り』を発表。
『日の名残り』
イギリスの執事の物語でした。
それは、舞台をどこにとっても作品を作れるということを自ら実証した作品でもありました。
以後、彼は、舞台設定はどこにでもできるということを知り、過去でも未来でも、SFにでも出来ることを知りました。
かえって、それが新たな悩みにもなったそうです。
今度は、どの舞台を選ぶかということに時間をかけなければ気が済まなくなったのです。
つまり、舞台に自明性がないということです。
決め手がないのです。
どんな舞台であっても、表現できるのです。
最適な舞台を選ばなければなりません。
ある作品では、二回ほど途中まで書いた舞台を反故にして書き上げたそうです。
数年に一作ずつ発表する作家カズオ・イシグロ。
彼の創作の裏側を知って、小説制作のヒントを得たような気がします。
image by: Wikimedia Commons(Bex.Walton)
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