高級すぎる「トースター」がバカ売れ。バルミューダが見せた日本家電の意地

 

革新家電の本丸に潜入~モノではなく体験を売る

東京・武蔵野に広がる閑静な住宅街にあるバルミューダの本社。創業社長の寺尾玄(44)は、社長でありながら全ての商品のアイデアを出しているという。そのものづくりには一つのポリシーがある。

「『3万円の扇風機は売れません』。本当かなと思うんです。『3万円の扇風機を買いますか』と言われたら、私は絶対買いませんが、『ひと夏の涼しさ3万円です』と言われたら、『なんでですか』と聞きます。いわゆる常識というものがあると思うのですが、『それってそうだよね』という社会的な合意。でも本当なんですかね」(寺尾)

寺尾は家電メーカーに勤めたこともない、いわば家電の素人だが、まず常識を疑い世の中にないものを作ってきた

「バルミューダ ザ・トースター」は2015年の発売。「焼く前に水を入れる」という常識破りのアイデアは、「たまたま全員参加のバーベキュー大会があって、炭焼きのグリルの上で食パンを焼いたらものすごくおいしいトーストができた。外がカリカリで中がフワフワ。『なんだ、これ?』となって」(寺尾)というのがきっかけだった。

そのおいしさを再現しようと炭火のグリルでパンを焼いた。しかし、何度やっても同じ味にならない。すると、「誰かが『あのとき土砂降りでしたよね』と言い始めた。『水分だったんじゃないか』というヒントがあって、スチームを使うというアイデアにいったんです」(寺尾)。

自分たちの感じたおいしさを何が何でも作る。その強い気持ちと、常識にとらわれないものづくりの姿勢が、大ヒット商品を生み出した。今年2月に発売された炊飯器「バルミューダ ザ・ゴハン」も、4万4820円と高価なうえ、保温機能はないのに売れている。

そもそもの、炊き方が従来の炊飯器とは全く違う。まず外釜に水を入れ、そこへ米と水を入れた内釜をセットし、加熱。すると水蒸気の熱が下からも上からも入り、米を焚き上げる。従来の炊飯器は米が踊ってぶつかり合うが、バルミューダの方は水蒸気で膨らんでいくので米の表面に傷もつかない。だから米の旨みを閉じ込め、しっかりした食感の、噛めば噛むほどおいしいご飯になるのだと言う。

この味を知ってもらおうと、体験イベントが開催された。会場には、炊き上がったばかりのツヤツヤのご飯がおいしそうな香りとともにスタンバイ。バルミューダファンで事前予約の席はあっという間に埋まっていた。炊きたてご飯をカレーで食べてもらう。寺尾たちが打ち出した味に、参加者から「おいしかった」「来てよかった」の声が。寺尾が作りたいのは家電ではなくこの嬉しい体験なのだ。

「嬉しさそのものは製造できないので、道具屋だけれども、『その嬉しさを見ている』という姿勢を強く見せたいなと思っています」(寺尾)

ライバルとは一線を画す性能、統一感のあるシンプルなデザインでもファンを掴み、2003年の創業から売上は右肩上がり。2016年は55億円を叩き出した。

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家電の革命児バルミューダ~創業者・寺尾、波乱の人生

寺尾は1973年、千葉県で生まれ、茨城県で育った。高校は2年で中退。その頃は今とはまったく違う夢を描いていた。目指したのはロックスター。バンドを組んで、自分で作詞作曲、ボーカルも担当。大手のレコード会社とも契約したが、売れなかった。

「全精力をそのときの私なりにつぎ込んで、浮上しようと思って一生懸命やったバンドだったのですが、10年かかってできなかった』という結末になり、衝撃的でした」(寺尾)

その後、寺尾はパチンコ店でアルバイトをして食いつなぐ生活に。家電を作り出すようになるきっかけは偶然見たオランダのデザイン誌だった。洗練されたデザイン、ワクワクする色や形。特に金属製品に引き込まれ、自分でも作ってみたくなった

寺尾はアルバイトの後、武蔵野に点在していた金属加工の工場を手当たり次第、見て回ろうとした。だが、金髪にジャージの怪しい男は、当然、どこに行っても門前払い。しかし寺尾は諦めなかった。何十軒と断られ続け、ついに奇跡のような工場と出会うのだ。

それが東京都小金井市の春日井製作所。JR中央線の沿線にある小さな金属加工の工場だ。16年前、その工場で春日井雅彦さんと出会ったことが、寺尾の人生の転機にとなる。

「まず電話した時点で、雅彦さんが『いいよ』と言うので、『今までのところとずいぶん違うな』とは思っていたんですよ」(寺尾)

当時、寺尾は借金をして金属加工の機械を買うつもりだった。そのことを相談すると、「『刃物一本でも高いよ』『いますぐやってもできないよ』と。『うちのを使っていいからここでやれば』と言ってくれて、びっくりして天使のような人たちだなと思った」と言う。

春日井製作所は職人3人だけの町工場。日々の仕事にも追われていた。突然やってきた若者に親切にしてあげた理由を、春日井さんは「普通の人が自分で考えたものを作り出すというのが面白かった。独創的なものがあるし、見ていても面白いんですよ」と語る。寺尾はいまも「春日井製作所がなかったらバルミューダはなかった」と言う。

小さな工場で始まった寺尾のものづくり。毎日のように通い詰め、1年後に作り上げたのが、ノートパソコンの冷却台「X-Base」だった。この商品をひっさげ、2003年、寺尾はたった一人でバルミューダを創業。アルミを削り出して作る「X-Base」は1台3万円以上したが、3ヶ月で100台を超える注文が入った。

勢いに乗った寺尾は、次に当時、まだ世の中になかったというLEDデスクライト「Highwire」を開発。部品が高価で、これも6万円という高価格になったが、高級インテリアショップなどでよく売れ、バルミューダの年商は数千万円に跳ね上がった。

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