日本どころじゃない。韓国の「受験戦争」は想像以上に過酷だった

 

高卒では社会に出て食ってゆくことは無理だという雰囲気だ。大学に行かないで一生他人の下っぱしりとして暮らすか、苦労してもいい大学に入りいい会社に就職するのか。このことは韓国に限らないものと思われるが、日本と違うのは、日本の場合60%ぐらい(と想像するが)の人がそう思っているのに対し韓国の場合は100%そう考えている点である。高卒でも才能があれば、その方面で立派にやっていけるし、短大でもいろんな可能性がある。専門学校でも、社会人として立派に仕事をこなしている人がいるじゃないか。大学に行く者もいれば高校から働きに出る者があってもいいじゃないか。日本の場合はこのように考え方が分散しているため、社会全体が勉強一色という雰囲気はない。ある層では熾烈な勉強地獄が見られても、ある層ではゲームをやっていたり、ケーキ作りをやっていたりと多様性が見られる。ちなみに日本の大学進学率はだいたい55%くらいなのに対して韓国は80%ほど。ただし、韓国に住んでいる者の体感としては、95%以上といっても言い過ぎにはならないはずだ。

韓国の空気は勉強一色といっていい。全員がカンナム(高級住宅地)に住むことを望み全員が八学群(カンナムの学群で韓国一の学群といわれる)に通うことを願う。親も子も大変だ。全員が八学群に通うことなんてはじめからできないのだし、全員がソウル大学に入ることなどできないのである。そんなことはみな、百も承知なのだが、それでもなお、勉強つまり文に対するあこがれは冷めやらないのである。そのエネルギーたるや言葉での形容は不可能に近い

「武よりも文」というこの意識は、また、「理系よりも文系」という意識に通じているようにも思う。電気や機械などを扱うよりも、文学哲学を論じるほうが高尚だという意識があるようだ。この現象はあるいは韓国に限らずいろいろの世界にも言えることなのかもしれないが、ここ韓国の場合は、こうした形而上学的な方面に対する憧れ、畏敬の念のようなものが色濃く漂うお国柄だ。もっとも最近は、IT、半導体の先進国らしく、理系工学系重視の傾向がやや醸成されつつあるようではある。

print
いま読まれてます

  • この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け