保育基準とは
なぜ保育基準があるのかと問えば、それは保育事故は園児の身体生命の危機に及ぶ場合があり、取り返しのつかない事態を招くからである。国の認可もそうした観点があって、安全に保育ができるとみなして認可を与えているはずである。児童福祉法第45条では、児童福祉施設の最低基準を定めるように規定があり、年齢に応じて必要な保育士の数を定めている。
しかし、R保育園では、それは書類上だけの基準のクリアであって、その実態は基準に満たない職員数であるのだ。
仮に事故が起きたらどうするのだろうか。
そうならないためには、職員に負担をかけるしかないだろう。本来必要な保育士はいないのだから、その分、保育士やパートの保育員にしわ寄せがいくのは当然だ。
そして何より、この補助金や助成金は我々国民の血税によって賄われるものであり、これを不正に受給することは許されてはならない。
行政が行う検査は、事前告知の上、形式上のものだ。仮に不正が報告されても、それが僅かだと思えば、その腰は異様なほど重い。
いじめもそうだが、基準となるべき法律が定められていても、これを現場が無視すれば、本来救われるはず、使われるべき血税が、どこかに消えてしまうのだ。
有識者の意見
保育問題に詳しい有識者は声を揃えていう。
事業主に補助金を出すのではなく、利用者に保育費用にしか使えないチケット制で、利用者に補助金を出す方が、補助金の不正はだいぶ防げる。そもそも、地域行政が点数制で保育を必要としている過程を評価するのだし、ほかに換金できないチケット制であれば不正は圧倒的に減る。
もちろん、不徳な利用者も出るだろうが、それは保育園事業者と結託しなければ、補助金を不当に受給はできない。
待機児童の問題は深刻だ。だからと言って、不正は看過されるべきでない。そして、今のような競争のない保育は、現場の保育士が不当に搾取されなければ、成り立たない現実がある。
いくら国が税金を投入してもその効果は薄い。それは不徳な事業者が、私服を肥やすだけだからだ。
探偵如きが言うのもなんだが、制度自体を見直すべきだと思う。