戦前の下手なジャズ演奏ばかりを集めた「へたジャズ!」誕生秘話

 

2018年度の上半期、ジャズの世界に1枚のヒットアルバムが現れました。Amazon「ジャズ・フュージョン部門」の総合第1位に輝いた日もあるそのアルバムとは「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940」。昭和初期に発売された、演奏が破綻しているジャズバンドのレコードを復刻したオムニバスです。いったいなぜ稚拙な演奏のジャズがいまこれほどまでに高い支持を得たのか。そしてこの半年間に巻き起こった「賛否両論」とは。このアルバムを制作した保利透(ほり・とおる)さんにお話をうかがいました。

発売前から抗議が殺到!

「『へたジャズ!』というタイトルをつけたときから、批判される覚悟はありました。そして実際にCDが発売される前から抗議が殺到していました。タイトルが刺激的ですから、わからなくもない。ただ『制作者の民度が低い』とまで言われた日には、さすがに僕も心中穏やかではいられなかったですね」(保利透さん)

話題作にして問題作となった「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940」。このCDアルバムの制作を担ったのが戦前レコード文化研究家の保利透さん(45歳)。保利さんは、発売日からの半年間の狂騒の日々を、そうかえりみました。

▲2018年度上半期注目の一枚となった「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940」(ぐらもくらぶ)

▲2018年度上半期注目の一枚となった「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940」(ぐらもくらぶ)

▲「へたジャズ!」を制作した戦前レコード文化研究家の保利透さん

▲「へたジャズ!」を制作した戦前レコード文化研究家の保利透さん

2017年12月31日、大晦日に発売された「へたジャズ!」。制作したレーベルは保利さんが主宰する「ぐらもくらぶ」。「いま聴いても楽しめる昔の音楽」を旗印に、明治・大正・昭和30年までの大衆音楽の普及にいそしむ好事家たちによって運営される音楽ブランドです。そしてこの「へたジャズ!」は、「ぐらもくらぶ」がリリースしてきたCDの第27作品目にあたります。

ちなみに「保利透」(ほり とおる)という名前はレコードコレクションを紹介するホームページを運営していた際のハンドルネームで、「ポリドール」をもじったもの。お名前からもレコードとその周辺文化への愛の深さが伝わってきます。

▲「ぐらもくらぶ」の資料庫。ここで日々、昭和30年代までのレコードが研究され、復刻盤として再び命を吹き込まれる。

▲「ぐらもくらぶ」の資料庫。ここで日々、昭和30年代までのレコードが研究され、復刻盤として再び命を吹き込まれる。

構想7年。「ベスト・オブ・へた」なジャズアルバム

のちに賛否両論を巻き起こすこととなったこの「へたジャズ!」の内容は、昭和初期に「夜店で安価で売られていた怪しきインチキレコードのなかから「ベスト・オブ・下手なジャズ音楽を選りすぐり、最新デジタルマスタリングで復刻したもの。「アラビアの唄」「私の青空」「ダイナ」「上海リル」をはじめとしたジャズのスタンダードナンバー(に聴こえないものもある)など23曲が収められています。保利さん曰く「一流ではないダンスホールの一流ではないバンドが吹き込んだ一流ではないレコードを集めた」とのこと。一流ではないオーケストラサウンドから厳選された、ある意味で珠玉の「迷曲」揃いです。

保利「構想は7年前からありました。つまり発売までに7年かかったんです。そういう点で、このアルバムをリリースすることはレーベルのひとつの目標でした

「単なる思いつきで生まれたものではない」というこの「へたジャズ!」の収録曲は、ひとことで「へた」と言ってもタイプは多種多彩。泥臭いもの、演奏が慌てているもの、気が抜けたもの、英語の発音がおかしいもの、明らかに間違えているもの、スウィングしていないものなどなど、まるで博覧会のようにバラエティに富んでおり、ひと筋縄ではいきません

「夜店」でレコードが売られていた時代

そもそも「昭和初期に“夜店で”レコードが安く売られていた」という業態自体、現代では理解しがたいものがあります。しかもそこで売られていたレコードは単なる値下げ盤ではなく、夜店で売るために「わざわざ費用を安く抑えて制作されていたオリジナル」なのだとか。

保利「たとえば大手のレコード会社は一枚を1円50銭で売っている。それに便乗した得体の知れない弱小メーカー群が3分の1の50銭という価格で安く売る。そんな風景が往時の都市部の歓楽街にはあったんです。そして安く売るために、録音に参加しているバンドのメンバーが少なかったり、そもそも一流のミュージシャンではなかったり、歌詞がゆるかったりと、制作費をかけなかった。それでも『B級品でもいいから』と、みんなレコードを聴きたがった時代でした。まがいものだからといって怒る人もいなかった。そういうバッタモンでインチキなレコードの文化が確かにあったんです

有象無象のメーカーが入り乱れるこの夜店レコードの廉売合戦は、京阪神をはじめとし、日中戦争による物資統制が敷かれるまで盛んにおこなわれていたといいます。

▲大手レコード会社「コロムビア・レコード」の紙ジャケットとほぼ同じデザインを施した謎のレーベル「スタンダード・レコード」。往時はこういったパチモンレコードが販売されていた。

▲大手レコード会社「コロムビア・レコード」の紙ジャケットとほぼ同じデザインを施した謎のレーベル「スタンダード・レコード」。往時はこういったパチモンレコードが販売されていた。正直「スタンダード」と読むのも苦心するレタリングだ。

ジャズの復刻盤で異例の大ヒット!

そしてこの「へたジャズ!」は2018年に入って瞬く間に1000枚を売り切り(復刻盤のジャズアルバムでは異例なセールス数とスピード)、さらにこの半年で何度もプレスが重ねられるヒットアルバムとなりました。それにしても、いったいなぜ演奏がつたない曲ばかりを集めた復刻盤をリリースしようと思われたのでしょう。

保利きっかけはアルバムのラストに入っている『青空(My Blue Heaven)』という曲との出会いでした。イベントでこのレコードをかけたとき、お客さんがとても喜んでくれたんです。音楽関連のグラフィックデザインを手がけている岡田崇(おかだ たかし)さんも『これは時代の証言となる貴重なレコードだからCDに復刻すべきだ』と言ってくれて。しかしこの曲を蘇らせるには『へたジャズ』というくくりをつくらないと、復刻はありえなかった。名演を集めたジャズ全集に収録するのは、ある意味で『もったいない』レコードだったんです」

▲衝撃の迷盤「青空(My Blue Heaven)」(大津賀八郎/スタンダードジャズバンド)。これを復刻することは保利さんの念願だった。

▲衝撃の迷盤「青空(My Blue Heaven)」(大津賀八郎/スタンダードジャズバンド)。これを復刻することは保利さんの念願だった。

確かに収録曲のなかでも特にラストを飾る「青空(My Blue Heaven)」(大津賀八郎/スタンダードジャズバンド)は青天の霹靂と呼ぶべき衝撃作。聴いているうちに空がまわって見える酩酊感すらおぼえます。戦前のジャズという大雑把なくくりには収まりきれない孤高の輝きがあり、ゆえにこの「青空」は、へたジャズというカテゴリーをつくらなければ再び陽の目を見ることはなかったでしょう。そしてこの「青空」をはじめ、総じて下手さを超越し、未知なるジャンルの音楽を聴いているかのような新鮮な感動をおぼえました。露天の軒先から80年の時を超えて蘇ったこれらへたジャズは、想像をはるかに超えた怪物だったのです。

「ジャズ100周年記念」最後の一枚となった問題作

また、7年もの長いあいだ企画を寝かせ、2018年の現在にあえてこの作品を世に問うたのも、「ある想い」があってのことなのでした。

保利「なぜこのタイミングでリリースしたかですか? 昨年2017年は“ジャズ”と書かれたレコードが発売されて100周年だったんです。そして日本においてもジャズ100周年の記念企画盤がさまざまな大手レコード会社からたくさん発売されました。そんななかで我々が戦前ジャズの集大成みたいなCDを今さら制作しても相手にされないだろうし、僕がやる意味はない。じゃあ、寝かせ続けた『へたジャズ』という企画をいまこそやるべきだ。そう考えたんです」

2017年の大晦日に発売することで、ジャズレコード誕生100周年のとどめを刺す一枚となった「へたジャズ!」。タイトルに「へた」と冠することで批判の声が挙がることは「予想がついていた」。けれども「はずすことは考えなかった」。保利さんはそう言います。

保利「日本にジャズと名のつくレコードが発売されてきた歴史のなかに、正規品だけでは語れない文化があることを100周年というタイミングで伝えたかったんです。そのために『へた』『インチキ』という言葉を掲げることは僕にとって重要でした。もしも僕らがこれまでジャズにかかわったことがなかったのならば、このCDを出すことで『愛情がない』『からかっているんだろう』『素人に何がわかる』と思われても仕方がない。けれどもこれまで戦前ジャズの復刻CDを何十タイトルも出してきた実績があったので、馬鹿にしたり嘲笑したりする気持ちなどみじんもあるはずがないことは、わかってもらえるだろうと」

「傑作だ」「ジャズへの冒涜だ」と賛否両論

「正規品だけでは語れない文化」の魅力を「へた」の2文字にこめた保利さん。そうして「へたジャズ!」は、発売後に予想どうり、やはり賛否が大きく分かれる結果に。

保利ジャズミュージシャンからの評価がとても高かったんです。『傑作だ』『これぞフリージャズだ』『サイケデリックだ』と高く評価してくれる人が少なからずいました。また、若い人たちからは『とても心地よかった』『のんびりした気分になって楽しめた』『戦前にこんなゆるい音楽があったなんて』など、リラクゼーションサウンドとして受け容れられたようです。正直それは意外な反応でした。もしも発売が7年前だったならば、サブカル的におもしろがられすぎて、笑いを目的にしたアルバムだと誤解を生んでいたかもしれません。そういう点で今年ひろまったのは、ちょうどよかったのかな」

若者にはゆるいヒーリングミュージックのように聴こえたという意外な効能(?)を生んだ「へたジャズ!」。しかし……対して否定的な意見も、それはそれは多かったのだとか。

保利「批判の声は発売される前からありました。それこそCDを聴く前の、コンセプトの段階から怒りの声が多数寄せられていました。『けしからん』『ジャズがまだ浸透していない時代に頑張った人たちをヘタというのはいかがなものか』『ミュージシャンの苦労も知らないで』と。『へた』もそうですが『インチキという言葉の刺激が強すぎたようです。『夜店レコード』という文化についての説明を事前にもっとちゃんとしていれば、こんなに否定的な意見はなかったかもしれない。そこは反省点でもあります」

「へたな人がいたっていいじゃないか」

ジャズレコード誕生100周年のめでたいムードに一石を投じ、賛否を分けることとなった「へたジャズ!」。しかしそれでもなお保利さんは、ジャズの正史からははずれた夜店レコードをCDとして復刻したことに意義を感じていると言います。

保利「いままでになく多くの否定的な意見をいただいたことで、『へたジャズ!』がこれまでの僕のレーベルのファンだけでなく、広く音楽ファンの興味をそそったのだなという感触を得ました。『ジャズへの冒涜だ』と言う人もいたけれど、ジャズの歴史のなかでへたな人がいたことを隠すほうが僕は冒涜だと思うんですへたな人がいたっていいじゃないか』と。へたな人の演奏を、みんなが楽しんで聴いた時代が本当にあったんです。そういう部分を歴史から消してクリーンにしようとするほうがよくないのではないでしょうか」

▲「これまでにない数の批判があったが、それゆえにリリースには意義があった」と保利さんは語る。

▲「これまでにない数の批判があったが、それゆえにリリースには意義があった」と保利さんは語る

発売から半年が経ったいまもプレスを重ねる人気の「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940」。

賛か非か、それは聴いてみたあなた次第。

夏から秋にかけてお祭りで夜店が建ち並ぶこの季節、ジャズのレコードが露天で売られていた時代に思いを馳せ、「へた」の向こう側にある音楽の躍動を感じてみませんか

VA「へたジャズ! 昭和戦前インチキバンド 1929-1940
制作:ぐらもくらぶ
解説:毛利眞人
デザイン:岡田崇
復刻:保利透
商品番号: G10035
定価: 2,200円+税

吉村智樹(放送作家・ライター )

京都在住の放送作家兼フリーライター。街歩きと路上観察をライフワークとし、街で撮ったヘンな看板などを集めた関西版VOW三部作(宝島社)を上梓。新刊は『恐怖電視台』(竹書房)『ジワジワ来る関西』(扶桑社)。テレビは『LIFE夢のカタチ』(朝日放送)『京都浪漫』(KB京都/BS11)『おとなの秘密基地』(テレビ愛知)に参加。まぐまぐにて「まぬけもの中毒」というメールマガジンをほぼ日刊で発行している(購読無料)。

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