誰かの何気ない一言をいつまでも気にして、そこからなかなか抜け出せない…そんな経験ってよくありますよね。『あなたは絶対!運がいい』など多数のベストセラー書籍で有名な、「あやしくないスピリチュアル」提唱者の浅見帆帆子さんは、自身のメルマガ『浅見帆帆子の宇宙とつながる話』の中で、深層心理で「気にしていることをスバリ指摘されたとき」こそ一番打撃を受けてしまうことが原因だと指摘、マイナス思考を振り切る簡単な方法を伝授しています。
自分のパワーを他人に譲り渡さないで!
こんなご質問がありました。
まぐまぐの配信、いつも楽しく読ませていただいてます。○○と申します。帆帆子さんの言っている「イヤな人からは離れていい」に随分癒されました。実は私には小学生の子がおり、幼稚園の頃から親子ともに仲良くしていた近所の同級生の家のおばあちゃんから、以前、「もう家には来ないでね」と言われ、それ以来音信不通になりました。
当時、浅見さんの「出逢う力」を読み、モヤモヤするから距離を置いた決断でした。それでも、何かの行事などで顔を合わせることがあるのですが、私は行きたくなくても、子どもは参加したがったりする場合には、どう対応すれば良いのか迷います。何かアドバイスをいただけたら嬉しいです。
あくまで、「私個人の意見」という前提で、書かせていただきますね。
私であれば、子供がその行事に参加したがれば、行きます。子供自身はなんとも思っていないかもしれないので、母親の感覚だけで「その行事に行きたい気持ち」を抑えるのはかわいそうかな、と思うからです。そして、もしその先でその方に会っても、普通にしていると思います。「来ないでね」と言われても、こちらに思い当たることがないのであれば、あくまで「普通」で構わないと思うのです…。
こういうとき、オススメなのが、今日初めてその人に会うつもりになる、という戦法?です。かつてのことは、リセット!なかったことにして、今日初めてその人に会うかのように振る舞う..。
人に対して、前回の印象がとても良いと、次に触れるその人の言動も良く感じますよね。でも、前回の印象が悪いと、同じ言動でも良く感じない、どころか、無意識に粗探しをしていることもあると思います。
そして「ほらね、やっぱり」と思う…。ですので、もう過去のことはなかったこと、…ということは、普通に接します。そして、「子供のためにそのイベントに参加した、以上、終わり」として参加した後は忘れます。
そうではないと、そのおばあさまの言葉に、○○さんのパワーを譲り渡してしまうことになりますよね。おばあさまの言葉がなければ、お子さんはその楽しい行事に参加できていたわけです。それが、悪いことをしたわけではないのに参加できなくなっている…ということは、○ ○さん親子が決めていい決定権を、そのお相手に譲渡していることになります。
これはもったいない…ですので、私であれば参加するそして全くなかったことのように接する…と思います。
このご質問から思い出したことがあります。
私の友人が、十数年前、彼女の専門分野でメキメキと頭角を表し、世間に認められるようになり始めたとき、その業界専門のある評論家から酷評されたことがありました。
「奇をてらった新人がどこまでできるか…」
周りから見れば、その評論家が言っていることもわからなくはない、(決して、ただの意地悪で言っているわけではない)ですが、上り調子の新人として認められ始めていた彼女にとっては、「この世の終わりのようにショックだった」と言います。その後、ますます成功していく流れの中でも、「あれほど落ち込んだことはなかった」のだそうです。
彼女はもともとプラス思考で、自分の考えていること、望んでいることは、それをワクワクと思い描いて言葉にしていれば必ず叶う、ということを実践していました。でも、あの時は、どう考えてもプラスに捉えることができなかったのです。
何日も落ち込んで、部屋にこもっていた時に、これまで自分のことを褒めてくれたり、応援してくれていた人たちのことが浮かんできました。
そして、ふと気付いたのです。これだけたくさんの人の応援があってここまで来たのに、自分はたったひとりの意見に振り回されている…その意見は、世の中すべての人のものではなく、その人の個人的な感覚です。
自分のパワーを相手に譲り渡しそうになっていることに気付いたのです。本来、自分にあるべきパワーを他人に渡してしまうと、急に無力になったような感覚に陥ります。ですが、それは、その言葉が事実であるということを認めた自分自身です。もしそれを全く気にしなければ、またはそれが耳にも入らなければ、それを認めないので事実にもならない…。
そこでもうひとつ気付きました。その評論家にそれを言わせたのは自分自身だと…。実は、彼女自身が自分のことを一番そう思っていたというのです。つまり、「奇をてらった新人がどこまで進んでいくことができるか」「新人が認められなかったらどうしよう」という思いをいつも抱えていた、自信満々に進んでいるように見えて、心の奥底ではいつもそれと真逆の不安を抱えていたと言います。
自分をどこかで否定していた、彼女の言葉を借りれば、「だから説得力のある人に自分の思っていることをズバッと言わせて、(やっぱりそうなんだ)と思わせた」のです。
なるほど…わかる気がします。確かに、人から批判されたとき、それに心当たりがなければあまり気になりません。自分が思っていることをズバリと言われるから反応してショックを受ける…。
よ~く考えてみると、私も同じようなことを奥底で思ってしまっている時があります。彼女と状況は違いますが、ある事柄に対して、「どうせ、こうでしょ…」と思っていることは、ほとんどその通りになって、「やっぱりね…」と思うのです。
それはまさに、自分が思っている通りのことを他人に示させているのだと思います。「運が悪い」と思っている人は、自分の身の回りから運の悪いことを探し、「ほら、やっぱりね」と思う…それと似ていますよね。
自分が自分のことを認められているときが、一番満足感があります。自分が認めているときは、周りの人の声や評価はあまり気にならない、ところが、どんなに周りが認めてくれていても、自分がそうではないと、いつも不安…。
自分の頑張りを一番知っているのは自分です。みんなの見えないところで、これもやった、あれもやった。数年前の自分に比べたら確実に進んでいる…、そこに目を向けることだと思います。
大事なことは、「なにが起きているか」ではなく、それをどう捉えるか、ですよね。
私も彼女の話を聞いて、心の奥底でたまに思っている「どうせ…」と言う妙な思い込みは、必要ないな、と思いました。すっかりそれをなくした時に、どんな変化が起こるか、とても楽しみです。
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