「本気でダンスをやろう」と腹をくくった父親の言葉
一流が実践するストレッチ方法を知ったのはいいが、それを“続ける”ことができなければ意味がない。毎日コツコツとストレッチを続けていくにはどうしたらいいだろう。
本書は、SAMさんのこれまでの人生を振り返る軌跡も取り上げる。音楽アーティストに比べ、ダンサーの地位が低かったかつての日本で、一流を目指しがむしゃらに駆け抜けたSAMさんの半生には、なにか1つのことを“続ける”ヒントが隠されていた。
56歳になった今でも舞台で一流のパフォーマンスを続けるSAMさん。しかしダンスと運命的な出会をする前は、医者を目指していたそうだ。SAMさんの実家は埼玉・岩槻藩の御典医に端を発する医者一族。医者家系の家に生まれたからには、SAMさんも医者になるべく子どものころから勉強の日々だった。
高校1年生のとき、クラスの教室でダンスを踊る同級生と出会う。勉強漬けの日々に、ダンスという存在は刺激的だった。そして1970年代後半、「サタデーナイトフィーバー」が大流行するディスコブーム真っただ中のとき、SAMさんは衝撃を受ける。
初めて入ったディスコ。大勢の人が集まるど真ん中で、白いスーツの男性が踊り、誰もがその姿を見入っていた。この光景を目にして、「自分もああなりたい!」と強く思ったそうだ。それからは勉強を忘れてディスコに通い続けた。高校2年生の冬には「ダンスをやめさせられるくらいなら一人で生きていく」と決め、15歳にして家を飛び出してしまった。
その強い決意もむなしく、2週間後あえなく連れ戻されたSAMさんは、家族に「どうしてもダンスをやりたい」と訴えた。反対されるだろうと半ば諦めたとき、父親からこんな言葉をもらった。
「将来、何になってもいい。ダンサーになろうがなんだろうが、なんだっていい。ただ、やると決めたならとにかく真面目にやれ。大事なのは何をやるかじゃなくて、どれだけ努力できるかだ」
覚悟が通じたのか、父はダンサーになることを認めてくれたのだった。このことがきっかけで、「本気でダンスをやろう」と腹をくくったという。