原発爆発後、防護服を着た新聞記者が「放射線は怖くない」と書き続けた怪奇
2011年に福島原発が爆発し、福島県の人は被ばく限界の1年1ミリシーベルトを超えるようになりました。爆発から4日目ぐらいに新聞(著者が確認したのが四大新聞)、NHKをはじめとした主要テレビの記者、カメラマンは全部、福島から引き揚げ、現場から20キロから30キロに設置された無人カメラで映像を送ったのです。
それから3か月、記者が「放射線防護服」を着て、恐る恐る福島に帰ってくると、そこの人が普通の服装で普通に仕事をしているではないか!記者が「そんな恰好で大丈夫ですか?」と聞いたら、「新聞に大丈夫と書いてあった」と答えたというのです。放射線が怖くて逃げた記者が、「放射線は怖くない」と書き続けたのですから、相当な神経の持ち主です。
もう一つ。爆発したその日、午後4時30分のニュースでNHKは「被ばく限界が1年1ミリシーベルトですから、原発の周りは限界の数1000倍になりました」(記録あり。著者の本に具体的にアナウンサーの言葉を載せてあります)と放送したのに、午後6時以後のニュースでは、「被ばく限界」についてまったく触れなくなったのです。
その1時間30分の間になにがあったのか? 政府から指導された? NHKの首脳部が報道局に指示した? 空気を読んで変えたのか? いまだに明らかになっていません。
このようにこれが日本という誠実な国のマスコミか?と疑うようなことが続き、その結果、福島原発の爆発の原因、福島の人の被ばくとガンなどの発症、再稼働している原発の付近の日本人の被ばく限界などすべては闇の中に入ってしまいました。
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