50歳からの「第2の人生50年」を真剣に考えてはどうか
第2の人生の50年をどうするのか?私がそれに気が付いたのは45歳の時でした。
「老婆の一時間」という随筆を書いたのですが、…ある日、老婆が縁側に座っています。空が赤く染まり、山の端に沈もうとしている夕暮れ時、老婆が座っている縁側の前の道路を若い人が忙しそうに通過します。それを見て、「ああ、あたしもあんな時があったわねえ」と老婆がつぶやきます。
そう、老婆にも若く活躍した時期があったのですが、今では夕日を浴びながら縁側に座っています。でも、彼女は膝が痛いわけでも、どこかに病気を持っているのでもないのです。30歳、40歳の時と同じなのですが、ただ、周りの人が「お婆さんだから」とか「無理しないで」と言うので、ジッとこうして縁側に座っているのです。
でも、老婆の一時間も、若い時の一時間も、彼女にとっては同じ人生の一時間なのです。それでも彼女が縁側に座っているのは、周りが彼女の人生を奪っているに過ぎないのです。
…と、私は書いてハッと気が付いたのです。その老婆の人生は自分にもあと10年もしたら来るだろう。そして、定年がどうの、年金がどうのと心配しているに相違ない。そんな人生ってあるだろか?寿命が延びても仕方がないのではないか??
私は考え、50歳からの私の第2の人生の計画を慌てて作ったのです。それは現代でも同じです。今、40歳の人は年金は実質的に90歳ぐらいからしか受け取れないという試算もあります。でも、その現実を正面から見ていないように見えます。
私はそれまで精魂をかけて頑張ってきた会社を50歳でやめ、60歳までの自分、60歳から90歳までの人生、そして90歳以上の自分の計画を立てたのです。人生の目標から、生活の規範、周りとの関係、健康の保ち方…なにからなにまで50歳までの自分とは全く違うことをしています。
でも、それは容易ではありません。現在の日本のシステムがすべて第1の人生に焦点をあわせていること、高齢者のサービスや健康基準などは「どうせ、縁側に座っている人だから」という考えでできているからです。
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