軍事アナリストが嘆く、普天間の移設を阻む「司(つかさ)任せ」

U.S._Marines_with_Alpha_Company,_1st_Battalion,_3rd_Marine_Regiment,_conduct_a_movement_to_Range_1_aboard_Camp_Hansen,_Okinawa,_Japan,_June_14,_2017
 

辺野古埋め立ての反対運動などにより足踏みが続く普天間基地の移設問題について、最優先すべきは危険な状態の普天間基地の移設を実現することだと一貫して主張を続けるのは、軍事アナリストの小川和久さんです。主宰するメルマガ『NEWSを疑え!』で、自身が提案してきた普天間移設までのロードマップを改めて示し、それらの案が採用されない米軍や日本側の「小さな」事情に嘆息しています。

「司(つかさ)司(つかさ)に任せる」と…

いま、沖縄の米海兵隊普天間基地の移設問題について、1996年4月16日の返還合意から最近までの私の関わりについて、単行本をまとめているところです。原稿用紙400枚ほどの分量ですし、基本的にクロニクル(年表)として起きたことを厳密に記述したのですが、それからが大変でした。

資料として記録を残すのではなく、それをノンフィクションの作品に仕上げなければなりません。登場人物の発言についても、いつ、どこでのものなのか、24年分の手帳を丹念に調べていきました。

いまは、そうした作業の大部分を終え、日本語としての読みやすさ、面白さの角度から手を入れているところです。

発見も色々ありました。どんな発見があったかは、単行本が秋頃までに出版されたときのお楽しみとして、今回は教訓のひとつを皆さんと共有したいと思います。

私は普天間基地の移設先として、一貫して米海兵隊のキャンプ・ハンセンを挙げてきました。沖縄県金武町にある基地で、キャンプ・ハンセン陸上案です。

キャンプ・ハンセンは普天間基地が10個あまり入る広さがあり、いちばん南側の海兵隊の隊舎が建っているエリアの地下には、米海軍が沖縄戦の最初の頃に10日間で作った長さ1600メートルの滑走路が埋まっています。米軍はチム飛行場と呼んでいました。

私は、海兵隊の隊舎を移築するのは難しくありませんから、それを適切な場所に移し、旧チム飛行場があった場所に普天間の代替施設を建設するのが最も望ましいと提案してきました。

しかし、普天間飛行場の危険性を速やかに除去しないことには、返還合意の目的を達成したことになりません。そこで私は、本格的な移設先を決める作業と同時に、キャンプ・ハンセンの東隣のキャンプ・シュワブの一画に、戦場でやるのと同じように2日間ほどで仮の移駐先を造成するよう提案してきました。そこに普天間の回転翼機の部隊を収容すれば、その段階で普天間基地を閉鎖できます。仮の移駐先は当初、戦場同様に更地ですが、これで普天間の危険性を除去することができます。キャンプ・シュワブもまた、普天間の4倍以上の広さがあるのです。

このように、私はハンセンとシュワブの二つの海兵隊基地を有効に使いながら、危険性の除去と本格的な移設先の建設を進めるべきだと主張してきたのです。しかし、防衛省から「二つの海兵隊基地の間の調整がつかないので無理」という声が出て、この提案はお蔵入りとなったのです。

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