反対運動などの前に足踏みが続く現在の辺野古の埋め立て案は、そうしたプロセスの中で出てきた面もあるのですが、私は「基地の間の調整」という言葉を聞いて、首をかしげざるを得ませんでした。防衛省に聞くと、ハンセンとシュワブの基地司令官や駐屯している部隊の指揮官が、お互いに縄張りを侵されることに抵抗しているというのです。
日本であろうと米国であろうと、組織の間にはそんなこともあるでしょう。しかし、ことは国家レベルの問題です。基地司令官や部隊指揮官といった、海兵隊の大佐や中佐の問題ではないのです。沖縄の海兵隊のトップである第3海兵遠征軍司令官の中将と話せば済む問題ですし、このレベルでもラチがあかないなら、国防総省を引っ張り出せばよいのです。しかし、日本政府はそんなことを考えることもなく、大佐や中佐の主張にブロックされてしまったのです。
蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る、という格言があります。蟹が自分の身体に合った大きさの穴を掘って住処とすることから、人間も自分の身分や力量に応じた言動をする、というたとえです。
そう考えると、ハンセンとシュワブでも、大佐は大佐の、中佐は中佐の甲羅に合わせて、基地という縄張りの議論をしていることがわかります。日本政府の側も、大佐や中佐に釣り合うレベルの担当者が前に出て、ハンセンはハンセン、シュワブはシュワブのことだけと向き合い、もっと大きな穴を掘ること、つまり日米同盟における普天間問題を解決することなど、考えもしなかったのです。
日本政府としては、この現実に気がついて、自分の基地を侵されまいとする大佐や中佐の主張を退け、二つの海兵隊基地全体を使うようグランドデザインを描くことが求められます。そこまで行って初めて、戦略的な思考と言えるのだと思います。
そのように戦略的に考えるかどうかは、優れて政治の判断となるのですが、日本の政治の現状ではそれができていません。よく「司(つかさ)司(つかさ)に任せる」という言い方を聞きます。これは、上から余計な口出しをしないで、担当の組織、担当者に任せておけば、ことはスムーズに進むという意味ですが、はたしてそうでしょうか。「司(つかさ)司(つかさ)に任せよう」という言葉をよいことに、官僚丸投げにしてきた日本の現実ではないでしょうか。
そのあげく、ハンセンとシュワブのようなことになってしまう。同じようなケースは、日本の随所に見られると思うのですが、さて、皆さんの周りでは?(小川和久)
image by: Corporal Aaron Patterson, U.S. Marine Corps (VIRIN: 170614-M-QH615-049) [Public domain], via Wikimedia Commons