ふるさと納税の返礼品は「プライスレスの感動」がいい納得の理由

 

ただ、ここにはもう一つ別の重大な問題が存在する。それは寄附をする側(ふるさと納税を利用する側)の心のあり方である。そもそも具体的な物品を見返りとして得るために支払う金を寄附とは言えないであろう。矛盾概念である。

例えば、原価5万円の物を10万円支払って手に入れるのであればそれはもう購買である。どの自治体がお得か、などと考えながらホームページを見比べている姿は、仮に自分で自分を見たとしてもあさましいと思うのではないか。

加えて、自身が住民として行政サービスを受益している自治体に対しては他の人(ふるさと納税を利用していない人)より払っている税が少なくなる訳だから不公平感は拭えない。我が家の飯を食い、我が家の床で寝る者が生活費の大半をよその家に入れていては家人から疎まれるのも当然であろう。

さらに納税という制度の本質から見ると、返礼品を受け取るという行為は脱税とまで言う勇気はないけれど脱法的行為とは言えるのではないか。仮に金券、あるいはそれに類する物を受け取るなら、その実キャッシュバックと変わらない。相対的に納税額は圧縮されることになる。

では、どこで間違ったのか。何が原因なのか。それは日本人が日本人の善意を信じられなかったからである。見返りも無しに寄附などあり得ないと絶望したからである。

そんなことはない。過去、災害発生時に見返りなど何も求めぬままに多額の寄附が被災した自治体に贈られてきたという実績が幾度もある。その原動力を同情と呼ぼうが、共感と呼ぼうが、日本人の善意であることには変わりはない。日本人には善意がある。信じていいのである。

総務省はこの制度の不備を見直し、返礼品は寄附額の3割以下とすること、さらに当該自治体区域内にて生産された物や提供されるサービスとすることが望ましいとした。

何も分かっていない。これでは3割を巡ってまた下品なPR合戦(金くれ合戦)となるだけである。さらに産物があるところとないところではあからさまな差がついてしまうことになる。

だから返礼品は無しでいい。代わりに何の価値もおそらくないであろう御礼状や、皆様の寄附でこんな施設やサービスができましたといった写真付きの感謝状でいいではないか。少し古くはなってしまうが「プライスレス」の感動もありだと思うのだが、どうか。

image by: President KUMA, shutterstock.com

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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