たとえばこういう例もありますね。
我々が獣医師として動物の診察に従事していますと、治療費というのはシビアな話になります。人の医療と違って保険が効かないというのも確かに大きな要因ですが、それだけではないと言えそうです。
そもそも我々自身の健康というのは失われてしまったら人生が成り立たなくなります。だから何とかして治療費は捻出しようとするというか、しなければなりません。それを放棄するということは生きることを放棄することになるからです。
でも動物の医療はそうではないのです。口にされるかどうかは別として、飼い主さんの中にはある程度“治療費の上限”というものが存在しています。言わば経済的余裕の分だけ動物に使えるということです。
命を軽視するのか??とご批判される方もいらっしゃるかもしれませんが、その余裕を超えてつぎ込むということはつまり人間の生活を困窮させることになりますから、結果として動物もハッピーにならないということを考えると、やはりその余裕の中で治療の選択をしていかざるをえないのです。
一方で…、批判を恐れずあえてここでは“わずか”と書かせていただきますが、わずか数万円の治療費がどうしても払えないということで治療を断念される飼い主さんもおられます。たった数万円の余裕がないのに動物を飼っているということは、はたして本当に幸せな人生と言えるのでしょうか。少なくとも動物にとっては幸せとは言えないでしょう。
お金で苦しみを取り除いたり和らげてあげることができるのであれば、なんとかしてでもお金を工面しようとするのが人の心というものでしょう。少なくともそういう思いを持っておられるから動物病院に連れてこられてはいるのでしょう。もちろん人によって数万円というのが生活を困窮させてしまう額になるという方がいらっしゃることは否定しません。その方達を蔑む気持ちも毛頭ありません。
とはいえです。
数万円の余裕がないのに命を一つ預かろうというのには、どう考えても無理があると私は思うのです。この現代社会においては、ですね。
少し私情を挟んでしまったかもしれません。失礼しました。
でもここまでの話に共通して言えることとは、やはりお金が生み出す価値の幅広さだと思うんですね。一見すると分かりにくい価値を生み出す可能性を秘めている、とも言えるかもしれません。その一つが心の余裕だと思うのです。
人間らしい部分を守ることも、
新しいアイデアを生むのも、
自分の健康を維持するのも、
家族や従業員を守るのも、
この国の未来を考えるのも、
それは全て心に余裕がないとできないことだからです。
そしてもしそれがお金によって幾許か生み出せるとしたら…。やはりお金の価値を貶めたり軽視したりすることは到底できないと私は思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。
今日は、私が体験した朝の何気ないワンシーンから着想を得たことを綴ってみました。蓋を開けてお渡し時のご婦人の「ありがとう」に心が救われました。
それではまた!Ci vediamo!!
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