むしろ必要ない。いじめを隠蔽し放置する教育委員会の存在意義

 

責任の所在不明

人の所在調査は探偵の専門であるが、いじめ問題の責任の所在はあちらこちらにある。記者会見などを見ていると、その地域の教育長らが頭を下げているが、私が知る多くの被害者には謝罪をしに来てはいない

だから、被害者の多くは、記者会見で教育長らが頭を下げるシーンを見て、一体何に頭を下げているのだ!と憤ってしまうのだ。

私は教育長らが記者会見で頭を下げるのは、最も被害を受けたいじめの被害者やその保護者への謝罪の意味は毛頭なく、世間とメディア自らの保身において、45度の角度で10秒間ほど頭を下げるのが恒例の儀式になっているからだと思っている。

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それをすれば、事件に直接関係のない人々は、こうやって謝っているのだからと深くは考えないと思っているのだろう。

また、レイマンコントロールの組織構成がある以上、教育委員会自体の責任の所在は見えづらくなってくる。市長などの長も同じで、被害者の子どもたちの声は直接届かない仕組みが出来上がっているのだ。

東京都内のある区で、私は教育長に直接面会をする機会を与えられ、そこで、区内の小学校で起きたいじめ事件と学校対応や教育委員会指導主事による到底対策を進めるとは考えられない対応を直訴したことがある。

その際、最も慌てていたのは教育指導課の課長であった。彼は教育委員会の事務方であり、こうした対応においては指揮する立場であった。教育長は私が証拠の写真などを持参したので、自分が受けていた報告とあまりにかけ離れた状態を目にして事務方からの報告を見直すようにその場で指示していた。

つまりは、事務局側が虚偽の報告を上げていたのであり、誤った認識が教育委員会内にあったということだ。

本来の目的を見失った教育委員会など不要

いじめをゼロで報告する教育委員会はまだある。

国立教育政策研究所の統計によれば、小学4年生から中学3年生の6年間、一度もいじめの被害や加害行為に加担していない児童生徒の割合は10.9%に過ぎない

いじめがゼロだったという学校は、奇跡に近い存在だと言わざるを得ないのだ。

昨年度、文部科学省が把握していたいじめの総数は41万件であった。その前の年は30万件、それまでは21万件前後であった。

これは、文科省が教育委員会へいじめの定義を守って、ちゃんと報告してくださいと指導し続けていたのが数字として現れてきたのが主要素である。

つまり、それまではいじめであるのに、いじめとして認知されもしなかった件が数十万件もあったということだ。これはもはや隠蔽が盛んに行われていたことを意味する

また、前述のように子どもの生命に関わる重大ないじめを放置したり、その事実を隠蔽しようとする教育委員会もある。

子どもの安全やいじめの対応も重要な教育委員会の機能の1つである。レインマンコントロールが機能せず、問題に対応できない本来の目的を失った教育委員会など不要である。

一方で、目的を遂行し、存在が機能し、発展的な教育委員会は必要なのである。

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