真実を認めさせるために訴えざるを得ない
こうして、Aさんは別の小学校に転校することになった。
転校の折の録音を聞くと、千代田区教育委員会は、転校の理由にAさんらが「担任教員のセクハラ」と書いた部分を指摘して、手続きが難しくなるという理由を述べて書き換えることを求めている。
口調は事務的なものであるが、文間からは書き換えないと転校は認められないとも受け取れる。少なからず、被害を受けたと申告しているものへの配慮はその対応には感じることはできなかった。
また、学校主張のように応援団セット紛失の問題に対する指導が、セクハラ申告の報復でないとしても、児童を数週間に及び言葉や態度で痛みつけ、それが原因で自殺未遂まで起こしたことは、どう少なく見積もっても、体罰となろう。
セクハラ行為についても、学校側は一般にいう対応とは極めて緩い対応に留まっている。例えば、体調不良で見学を希望している女子児童をプールに入ることを強要するのは、極めて危険な行為と言えるだろう。さらに、イヤらしい表情で、女子児童の水着姿を舐め回すように見続け、プール指導を名目に身体に触りるというのは、許される行為なのだろうか。
こうした行為を嫌だと申告することは、モンスターなのだろうか。いや、それは当然の申告であり、これには教育機関だろうが真摯に対応しなければならなかった。ところが、こうした事実は問題となることはなく、まるでAさんらが過敏に反応する存在とされ、被害者の尊厳すらも傷つけた。
Aさんは現在は中学生であるが、そんな子どもが勇気を振り絞って、震えながらも自ら真実を求めるため裁判に訴えることにした。弁護士を代理人としない本人訴訟だ。それにどれだけの覚悟が必要だったのだろうと考えると、千代田区教育委員会を含め問題となった学校の罪深さを感じるのだ。
この裁判は判決が出るまでしっかりと追っていこうと思う。
編集後記
私は小学6年生当時のAさんの相談を受けています。その時の印象は、物事をはっきりと話し、理路整然と話す頭の良い子だなというものでした。意思表示もはっきりとしていました。
つまり、気持ちが弱いとか精神的に何かあるという子ではありませんでした。確かに被害を受け続けてトラウマやフラッシュバックがあり、当時のことを思い出してもらう際は、大変でしたが、全て真実を話したと言えます。
ですから、私は弁護士を紹介し、その指導を受けて本人訴訟をやってみたらどうかと話しました。真実を求めるためには、それが一番早い段階にあるのではないかと考えたからです。そして、その段階まで追い詰められてしまっている状況であることは明らかでした。
残念なのは、制度や仕組みにおいては全国的にモデルになるようなものを持っている千代田区で、ある種のヒューマンエラーが積み重なり、問題が多発しているということであり、どこかで真っ当な判断があれば、ここまで児童が苦しむことはなかったはずだということです。
裁判になれば、勝ち負けを争うことにはなりますが、この事態を教育機関には重くみてもらいたいと思います。そして、学校は治外法権ではないこと、子どもだからとなんでも軽く見るなということを強く認識し、行動してもらいたいと思います。
また、文科省の調査によるわいせつ教職員の数値は氷山の一角に過ぎません。パワハラセクハラは、教職員間でも多発している問題ですが、多くは隠蔽されます。普通の職場環境にするという意味でも、教育界はこの問題を見直し、セクハラ教員やパワハラをする者を徹底的に洗い出さなければなりません。
セクハラはダメ、パワハラはダメと言いつつも、行動で示せず、事件が毎日のように起きるようでは、学校は嘘を平気でついていいと教育していることになってしまうのです。
嘘つきに教えてもらうことなど何もありません。嘘つきは教育界から去るべきなのです。
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