いよいよ開催まで1年を切った2020年の東京五輪。観戦チケットの抽選や聖火ランナー募集なども始まりましたが、心配なのは日本の酷暑です。年々厳しさを増す夏の暑さに、選手はもちろん応援する観客やボランティアスタッフの健康状態も危ぶまれています。そんな中、虚構新聞社公式Twitterアカウントのこの記事ツイートが大きな話題となっています。
【更新情報】「暴れる猛暑、護摩で調伏」 五輪期間中、祈祷師3千人配置へ https://t.co/95SCBAjWZ3 pic.twitter.com/sMa4b6Ne4R
— 虚構新聞速報/編集部便り (@kyoko_np) August 19, 2019
オリンピックのずさんな暑さ対策を皮肉った内容に、計1万を超えるRT・いいねが。「案外本気で大会関係者は神風が吹くと思っていそう」「現実記事と虚構記事の区別がつかない」「リアルがフェイクのようであり、フェイクがリアルのよう」など多数の意見が寄せられました。中には、記事のリアルさゆえか、現実のあまりの異常さのせいか、一部には本気で騙されてしまった人も。この反響について、虚構新聞の社主UKさんが自身のメルマガ『虚構新聞友の会会報』の中でクールに語られています。
流言蜚語〜オリンピックの話〜
20日に配信した本紙記事「「暴れる猛暑、護摩で調伏」五輪期間中、祈祷師3千人配置へ」がツイッターのトレンドランキングに入っていました。なぜかついでに「虚構新聞」というワードまでトレンド入りしたこともあり、昨年7月の「東京23区、全面ドーム化へ」以来、一時サーバーが落ちるほどの大きなアクセスとなりました。
▼「暴れる猛暑、護摩で調伏」五輪期間中、祈祷師3千人配置へ
→https://kyoko-np.net/2019082001.html
▼東京23区、全面ドーム化へエアコン完備「全天候型都市」目指す
→https://kyoko-np.net/2018071901.html
ちなみにさらにさかのぼると、一昨年にトレンド入りした「琵琶湖の水全部抜く」も8月配信ということで、ここ数年はだいたい夏になると目立つ感じになるようです。
▼「琵琶湖の水ぜんぶ抜く」外来魚駆除に「排水」の陣
→https://kyoko-np.net/2017082301.html
さて、話は今回の「護摩で調伏」について。一読して「前に読んだことがある気がする」と気付いた方は、なかなかのマニア。「祈祷師を呼ぶ」というパターンは、実は過去にも一度記事にしたことがありました。
▼政府、大飯原発に祈祷師200人を派遣へ
→https://kyoko-np.net/2012061301.html
今を遡ること7年前、政府(※当時は民主党・野田政権)が福井県の大飯原発再稼働を決定したときに、同じ趣旨の記事を書きました。ちなみにオチはこんな感じ。
『祈祷の有効性・実効性について、政府関係者は「神のみぞ知る」として、再稼動前からすでに事故責任の所在を神になすりつけており、原発が文字通り「安全神話」でしかなかったことを改めて裏付けたかたちだ。』
来年の東京五輪・パラリンピックが猛暑に襲われるか否か、これも同じく「神のみぞ知る」状況ではありますが、猛暑という災害は、突発的な自然災害に左右される原発事故と違って、今からでも十分に危険が予見でき、なおかつ本気を出せば十全な対策を立てることができます。これでもし来年、熱中症で死者が出ようものなら、明らかな「人災」と言っていいでしょう。
「護摩」の前週14日にも「新国立競技場に巨大風鈴設置」という雑コラ記事を書いたのですが、これら2つの記事を通じて暗にほのめかしたのは、暑さ対策のお粗末さです。
▼涼しげな音色で酷暑乗り切れ新国立競技場に巨大風鈴設置
→https://kyoko-np.net/2019081401.html
「巨大風鈴」も「護摩焚き」も、真に受けた人は皆無に近いですが、しかしながら「本当なんじゃないかとほんの一瞬戸惑った」という感想は多く目にしました。裏返せば、これまで行われてきた暑さ対策がいかに虚構じみていたかということでもあります。
既にご存知の方も多いと思いますが、虚構じみてる例を1つ挙げると、組織委員会では来年、競技会場入り口にアサガオを飾って涼しさを演出するのだそうです。
▼アサガオで警備に癒やし=東京五輪・パラ会場に4万鉢−組織委(時事)
→https://www.jiji.com/jc/article?k=2019052500190&g=spo
『夏は暑さが厳しく、警備は物々しいイメージ。大会組織委員会の担当者は「涼しげになってリラックスしてもらえれば」と話す。』
美観の面でアサガオを飾ること自体は問題ないですが、果たして訪日する海外の観戦者に「アサガオ=涼しげ」は通じるのでしょうか。
もちろん、暑さ対策として競技時間を早めるなどしていることは知っています。しかし、いざ実際にテスト大会をしてみたところ、選手や観客から不満が続出。関連記事を挙げればきりがないほどで、テスト大会を実施して本当に良かったとしか言えません。
▼「暑い。耐えられない」五輪ボートテスト大会課題浮上で対策見直しも(産経)
→https://www.sankei.com/sports/news/190809/spo1908090036-n1.html
▼馬事公苑で馬術テスト大会トップ大岩、暑さに危機感(産経)
→https://www.sankei.com/tokyo2020/news/190812/tko1908120001-n1.html
▼ホッケー五輪テスト大会暑さ対策は霧吹き扇風機(日刊スポーツ)
→https://www.nikkansports.com/sports/news/201908180000345.html
▼お台場でパラトライアスロンW杯水質悪化、スイム中止東京大会へ懸念強まる(毎日)
→https://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20190817/dde/041/050/017000c
それにしても、ここまで来ると「どうして炎天下の東京でスポーツ大会を開かねばならないのか」と、東京五輪・パラリンピックの存在意義そのものが疑わしく感じられます。元をただせば、五輪誘致のために出した資料に「この時期の天候は晴れることが多く、かつ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と、当の日本人が読めば首を傾げるような文言を載せた段階でおかしかったのです。
さらに開催決定後も、費用が膨れ上がることへの批判を避けるために新国立競技場の設計を見直した際には、安倍首相がリーダーシップを発揮して、客席の冷暖房設備をカット。首相は会議では「暑さ対策なら、『かち割り氷』だってある」と発言したそうです。確かに、かち割り氷はすばらしいアイデアでございます。
▼首相「冷暖房はなくてもいいんじゃないか…」土壇場で工費カット驚く遠藤五輪相(産経)
→https://www.sankei.com/politics/news/150828/plt1508280044-n1.html
この惨状を前に、誰もが「前回大会のように、秋開催に変えればいいのでは」と考えますが、大リーグなどスポーツイベントが続く海外の事情に配慮して、秋開催への変更は不可。かくして招致には成功したものの、もはや引くに引けない、下手をすると「日本は夏に訪れる場所じゃない」という印象だけを世界に発信するセルフネガティブキャンペーンとして記憶されかねない状況に陥りつつあるわけです。
これも結局のところ、招致当時、今より不況の色が鮮明だった日本が、景気対策の1つとして経済効果ばかり目を向けた結果、スポーツ大会という五輪本来の側面をおろそかにしたことが招いた事態です。
そして、もう1点思い出すべきことがあります。オリンピックの招致が決まった瞬間、ほぼ全てのマスコミが、関係者の歓喜する写真とともに「56年ぶり」「悲願叶う」といった祝賀ムードで伝えました。今でこそ五輪の問題点をあれこれ指摘している朝日新聞でさえ、招致決定の号外には「感動東京は待っている」「五輪の情熱と興奮世界へ」という勇ましいフレーズが踊ります。
▼朝日新聞号外東京招致決定
→http://www.asahi.com/special/2020hostcity/extra/
決定した当時、北海道から沖縄まで全ての日本人がこれほどまで喜んでいたかどうかは分かりません。しかし、少なくとも関西在住の社主は、この時の妙な浮かれっぷりに、軽い違和感を覚えていました。地理的な隔たりのせいか、どうにも「東京のためのイベント」として他人事にしか感じられなかったのです。ただ「今回は開催費用も節約するらしいし、これがきっかけで被災地の復興が進めばいいね」くらいに思っていました。
それから6年。招致前にあれほどアピールしていた「コンパクト五輪」「復興五輪」のフレーズをとんと耳にしなくなりましたが、あの理念は一体どこに行ったのでしょうか。
社主の観察範囲が偏っているのかもしれませんが、近ごろ五輪関係のニュースと言えば「ずさんな暑さ対策」だけでなく、「関連経費の大幅超過」「ボランティアのやりがい搾取」「残念な傘付き帽子」など、ほとんどと言っていいほどネガティブな話題しか耳に入ってきません。本当に大丈夫なのでしょうか。
しかしここで、ここまでの流れを全てひっくり返すようなことを言いますが、おそらく東京五輪は「大成功」に終わることでしょう。大会期間中、日本中が選手たちの真剣な姿に感動し、きっとお祭りのようなすばらしい17日間になるはずです。
さらに、これは予言しておいてもいいですが、大会期間中、懸念されていたように観客やボランティアが熱中症で倒れようと、「○○選手、世界新」などの報道の前に、極めて小さく扱われることでしょう。ツイッターなどでも、ネガティブにつぶやけば「何で今みんなが楽しんでるときに、わざわざそんなこと書くの?空気読めよ」という、クソリプという名の圧力が強まるのは目に見えています。「五輪招致」の号外やサッカーW杯など、これまで繰り返し見てきた「猫も杓子も」な国民的熱狂を知っていれば、祭りに水を差すことの難しさは推して知るべしです。そういう意味で、五輪は鉤括弧つきながら「成功」が約束されています。
しかし、何より問題なのは「祭りの後」です。2013年に五輪招致が決まった後、国は様々な政策を2020年に向けて設定してきました。共謀罪が焦点になった「組織的犯罪処罰法」も五輪のテロ対策という名目で成立しました。憲法改正や譲位も含め、「失われた20年」という負の遺産を清算した新時代を印象づけるため、五輪に向けて一丸となって邁進してきた感があります。
しかし、東海道新幹線という大きな遺産を残した前回大会と違い、来年の五輪が終わっても、国民全体が恩恵を享受できるようなものは何も残りません。むしろ2021年以降は、五輪関連の建設事業などで先取りしてきた需要を失ったうえ、世界的な景気減速と10%の消費税、さらに日本人の3人に1人が65歳以上という、これまで人類が経験したことのない超高齢社会を生きることになります。大きな目標を失った時代の到来です。
護摩を焚いて祈るべきは来年の暑さよりむしろ、それ以降に控える国難の方かもしれません。2020年の東京五輪が「令和のええじゃないか」として後世に語り継がれないことを祈るばかりです。
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