アフガンで中村哲医師が銃撃され死亡。各紙はどう報じたのか?

 

シロップ一さじの治療

【毎日】の「余録」が伝えるエピソードはパキスタンの奥地に赴いたときのこと。ある家に呼ばれて乳児を診たが、既に「今夜が峠だと告げるしかない重い病状」だったという。その赤ん坊に、中村さんが息を楽にするための甘いシロップを与えたところ、「瀕死の赤ん坊は一瞬微笑んだ。その夜に亡くなったが、人々が中村さんをたたえたのは『言ったとおりだった』からだ」という。「そこでは医師は神の定めを伝える者として尊敬されていた」と。

中村さんは「死にかけた赤子の一瞬の笑みに感謝する世界がある。シロップ一さじの治療が恵みである世界がある。生きていること自体が与えられた恵みなのだ」と書いているという。

この逸話は、まだアフガンで大干ばつが始まる前のこと。干ばつを目の当たりにした中村さんは「人々の暮らしを根底から奪った干ばつで何より命のための水が必要だった」として灌漑事業に取り組む。約1万6500ヘクタールの土地に水を供給し、65万人の命を保つ大事業となる。

とにかく生きていてくれ!

【東京】は3面に「中村哲さん語録」と題する記事を掲載。その中からいくつかを拾って紹介しよう。

「援助する側から現地を見るのではなく、現地から本当のニーズを提言してゆくという視点である。彼らはわれわれの情熱のはけ口でもなければ、慈善の対象なのでもない。日本人と同様、独自の文化と生活意識を持った生身の人間たちなのである」(活動の基本姿勢について)

「日本で身に付けた技術は、現地では何の役にも立ちません。むしろ初めは邪魔になります。半年か1年は寝て暮らすつもりで来てください。そのうち現地の様子もおいおい見えてきて、何が必要かも分かってきます」(現地でボランティアを希望する看護師の問いに答えて)。

とにかく生きていてくれ、病気は後で治す」(大干ばつで飲み水が不足し、下痢や簡単な病気で多くの子どもたちが亡くなっていくことについて)。

image by: 『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』 , Shutterstock.com

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ニュースステーションを皮切りにテレビの世界に入って34年。サンデープロジェクト(テレビ朝日)で数々の取材とリポートに携わり、スーパーニュース・アンカー(関西テレビ)や吉田照美ソコダイジナトコ(文化放送)でコメンテーター、J-WAVEのジャム・ザ・ワールドではナビゲーターを務めた。ネット上のメディア、『デモクラTV』の創立メンバーで、自身が司会を務める「デモくらジオ」(金曜夜8時から10時。「ヴィンテージ・ジャズをアナログ・プレーヤーで聴きながら、リラックスして一週間を振り返る名物プログラム」)は番組開始以来、放送300回を超えた。

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【著者】 内田誠 【月額】 月額330円(税込) 【発行周期】 週1回程度

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