放送予定だった英国サッカーリーグの試合を、「チーム所属の一選手がウイグル人弾圧を批判した」という理由で急遽中止とした中国国営テレビ。10月には香港デモを巡り、米プロバスケットボールの試合を放送中止にすると圧力をかけるなど、習近平政権のチャイナマネーを盾にした「言論統制」は目に余るものがあります。しかし、こうしたやり方は「自分で自分の首を絞めたことにもなる」とするのは、台湾出身の評論家・黄文雄さん。黄さんはメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』でそう判断する理由を記すとともに、中国の恫喝や暴力に屈することがあってはならないと強く訴えています。
※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2019年12月19日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:黄文雄(こう・ぶんゆう)
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。
【中国】連帯責任を取らせて孤立させる中国の卑劣
● 中国国営TV、エジル選手のウイグル弾圧批判受けサッカー放送中止
英イングランド・プレミアリーグのサッカーチーム、アーセナルに所属するトルコ系ドイツ人のメスト・エジル選手が、自身のツイッターで中国のウイグル人弾圧を批判したところ、中国国営テレビが生中継する予定だったアーセナルの試合を放送中止にしました。
以前にも、アメリカプロバスケットNBAのチーム「ヒューストン・ロケッツ」のゼネラルマネジャー(GM)が、ツイッターに香港デモを支持する投稿をして中国政府が反発、テレビ放送を中止するという圧力をかけたため、NBA内からもロケッツのGMへの批判が起こり、GMは謝罪に追い込まれました。
これに対して、アメリカの政界からはNBAはカネのために中国の圧力に屈し、自由と人権に対する発言をないがしろにしたと、逆批判が起こるなど、中国のカネによってスポーツ界が毒されていることについての懸念が噴出しました。
これはいわば、中国の融資によってインフラ設備を整備したら、高金利で返済ができなくなりインフラを中国に取られてしまったスリランカなど、「借金の罠」にハマった小国と同じ構図です。チャイナマネーに依存しすぎて、中国のご機嫌を損ねないように、中国にとって都合の悪いことは言わない風潮になってきているわけです。
とはいえ、NBAの場合はGMというチームを代表する幹部の発言が問題視されましたが、今回は、たんなる一選手の発言です。一個人の選手の発言まで封じようとする中国政府のやり方は異常です。
こうしたやり方は、中国ならではのものです。個人の問題をチーム全体に広げて、連帯責任を取らせる。これにより、発言した人物はチーム内で孤立します。アーセナルとしては、放送中止になれば、当てにしていた放映権料が入ってこないかもしれません。メスト・エジル選手に対して、「お前が余計なことを言ったからだ」と批判するチームメイトやチーム幹部も出てくる可能性があります。
そうやって、連帯責任を取らせて、個人の造反を抑えるというのは、中国が歴史的に行ってきた統治手法のひとつなのです。古くは戦国時代、秦の商鞅が地縁的な隣保制度(隣どうしで監視し、密告を奨励する)をつくり、連帯責任を追わせたことからはじまったとされています。これは什伍(じゅうご)制度と言われています。
その後、宋の王安石は10戸を「甲」、10甲を「保」として、それぞれ甲の長、保の長がその甲と保の責任を負うという保甲制度が確立、清代を経て、中国社会の監視役と密告役を担ってきました。
中華人民共和国になっても、居民委員会というかたちで、隣人を監視しあう制度は現在もなお続いています。文化大革命時代は、とにかく密告が奨励され、友人同士や子が親を密告するといったことも頻繁に起こりました。
そして習近平時代になると、ふたたび密告が増えつつあると言われています。政府が密告を奨励し、密告者に対して奨励金を支払うとしているからです。
● 各分野で「密告奨励」の動き、奨励金は最高で846万円―中国
中国でこのように密告制度が数千年にわたって続いてきたのは、徹底的な人間不信社会だからです。密告制度が続いたことでさらに人間不信社会が進むことになるのです。
そのような社会ですから、個人を孤立させ、衆人環視のなかで吊るし上げることで相手に最大限の屈辱と苦痛を与えるというやり方はお得意です。そして、そうした「罰」を周りに見せることで、他者の造反を防ぐというやり方をよくわかっているわけです。文化大革命の「批判闘争大会」というのは、まさしくそういったものでした。