「自分の子育てが間違っているかもしれない」と不安になり、よそのお宅を羨ましく思ったことはないでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では、著者で既に20年近い保護者面談の経験も併せ持つ現役教師の松尾英明さんが、そもそも「子育てに自信がある親のほうが少ない」と断言する理由を解説すると共に、子育てを他と比べずに済む「考え方のポイント」を記しています。
「子育てに自信がないです」
もう20年近く学級担任をやっているので、保護者面談もかなりの数を行ってきた。単純計算して500人を相手に、1,000回以上は行ってきたことになる(大体どの学校も1年間で2回以上は面談を行う)。
その中で、十数年前から変わらず、多くの保護者が共通して感じていると思われることがある。それは「自分の子育てはもしかして間違っているのではないか」という不安感である。
同時に「周りは上手にやっているから、自分も合わせないといけない」という焦りである。
しかし実際、この二つが事実だとしたら、同時に成立することはない。つなげて考えると「ほとんどの人が子育てを間違えていて、かつほとんどの人は子育てが上手だ」ということになる。論理的に矛盾が起きる。
要は「隣の芝生は青く見える」という現象である。みんな相当に全力を尽くし、これ以上なく真っ当に子育てをしているのだが、自信がない。
なぜか。
全員「初めてのこと」だからである(初めて生まれてきた子を育てるのも初めてだし、一人目を育てながら二人目を育てるのも初めてである)。初めてのことというのは、大抵の人は自信がない。そして自信がないと、周りの人が上手くやっているように見えるものである。
つまり、「子育てに自信がもてる」という事態は、ほとんどの人にとって一生訪れることはない。常に「トラブルの連続」であり、「悩みの連続」であり、一生「結果待ち」である。
更に悩みを増長させる要素の一つに、周囲の余計な雑音があることも多い。周囲から「もっとこうすればいい」「もっとうまくやれないの」と言わている気がする。最近は様々な子育て情報が溢れかえっているせいで、逆に悩みの種が増える。ビジネス的視点からだと、子育ては大変に非能率で非論理的に見える。
大抵、周囲はあまり関わっていない割に余計なことを言ってしまい、当事者の親を困らせ悩ませているものである(私自身も御多分に漏れない)。「わかっちゃいるけど、どうしようもできない」というのが大抵の本音のようである。
朝から晩まで全力で子どもと「ぶつかり稽古」をしている親の苦労なぞ、知る由もない(反抗期は特にひどい)。こちらがどんなに理解を示しても、「出産の苦しみがわかる」というようなもので、本人以外の完全な理解は無理である。
要は、みんな全力でやっている以上、その子育てに間違いはないというのが真実である。ただ全力でやっていても、「こうなって欲しい」という願いにその子どもがこたえるかどうかは、別問題である。子どもは「こうなりたい」と願うものにしかならない。薔薇の花を咲かせてほしくても、子どもの持っているのは向日葵の種かもしれないのである。
だから親は「こうなったら本当はいいんだけど、ならなくてもいいや」ぐらいの余裕のスタンスが欲しいところである。ただ日の当たるところに置いて(適度な環境)、水やり(愛情)だけは忘れないことである。それでたとえ薔薇の花が咲かなくても、それは親の責任ではないし、元々不可能な注文である。
また一方で「ガラスの覆い」までしてやる必要はない。蝶やハチは花の友達なのだから、放っておく。不安から焦って先回りしすぎないことである。温室育ちは、自然の中に出た時に大変弱い。
自分が本気でがんばっていると思えるのなら、その子育てに間違いはない。ただ「これはやりすぎかも?」と思ったら、立ち止まって、然るべき相手に相談すればよい。面談も、そういう点で意味がある。
みんな、自信がない中で、がんばっている。だから、他人と比べなくても、とりあえず大丈夫なのである(どちらかというと、周りと比べて焦って余計なことを色々やりすぎる方が、かえってよくない)。
子育てに自信がないと言われる全国の親御さんに、少なくともここまでは大丈夫ですとエールを送りたい。
image by: Shutterstock.com