日本車のデザインはこれでいいの?車を選ぶ楽しみが減った理由

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日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんは今回、日本車のフロント・グリルがメーカーごとに定型化の傾向にあることについて「これでいいの?」と疑問を投げかけます。山崎さんは、この傾向が強まった理由を解説した上で、技術とともに進化するという大切なことを忘れてしまったかのようなデザインの定型化を「うんざり」と切り捨てます。

車のデザインについて

戦後の日本は言うまでもなく自動車立国である。車を造り、売り、所有することによって豊かになったのである。車はおそらく普通の一個人が無理なく持ち得る最も大きな機械であろう。故にそこには夢があり、夢あればこそ、デザインが生まれる。車はその誕生の段階から既に単なる移動の手段としての機械ではなかった。

車は用(技術)、美(デザイン)兼ね備えて初めて「車」なのである。その点において他物のデザインとは決定的に違う。しかも自動車産業は恐ろしく競合の激しい分野であるから、その技術は常に最新であることが求められる。

一方、デザインは常にそれに追い立てられるか、そうでなければ、それを押さえ付けるかである。用美のバランスは実に微妙なのである。その均衡点が高ければ高いほど優れていると言っていいが、高所である分危うい代物であるとも言える。

具体的に言えば、均衡点が高いのが高級車の類で、通常レベルで均衡しているのが大衆車である。どちらも用美のバランスがいいことに変わりはない。が、しかし「良い車」と言われる物の内にもかっこ悪い車があるのはどういう訳であろう。ここで言う「かっこ悪い」とは、所謂好き嫌いを度外視したレベルの話である。

本来、技術的に優れていれば、当然デザイン的にも高次のものが要求される訳だから、自ずとかっこ良くなる筈である。にも関わらずのことである以上、それは故意によるもの、言い換えれば、わざとかっこ悪くしているとしか考えられないのである。「何をバカなことを」と言いたいかもしれないが充分にあり得る話なのである。

ここでは、いろいろあるカーデザインの要素の中でも特にフロント・グリルに注目してみる。これに関して、昨今流行しているのがメーカー(ブランド)によるグリルの定型化である。最も伝統的な定型例はロールス・ロイスのパルテノン・グリルやBMWのキドニー・グリル、次いでアルファ・ロメオの盾形グリルなどであろう。近年では、アウディのシングルフレーム・グリルが特に有名である。現在では、レクサス(スピンドル・グリル)、日産(V-モーション)、ホンダ(ソリッド・ウイング・フェース)、マツダ(ファイブ・ポイント・グリル)、三菱(ジェットファイター・グリル)等々定型グリルだらけである。

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