私は武漢に残る。最終チャーター機に自国民を無事乗せた韓国領事

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新型肺炎感染源とされる中国武漢市から「自国民が、いつ帰国し、何名の感染者がいるのか」といった情報把握に各国メディアも右往左往していますが、実際のところ、無事帰国できたその現実を幸運だと各々が自覚すべきなのかもしれません。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴31年の日本人著者が、武漢在住韓国人に立ちはだかった幾多の検閲通過を助け空港到着に尽力した、ある武漢総領事館職員の逸話を紹介しています。

大量の涙

武漢在住の韓国人701人が、2月1日まで韓国に帰ってきた。韓国内の収容施設が温かく迎えてくれたからだ。アサンとジンチョンという2か所だ。アサンは忠清南道にある警察人材開発院、、ジンチョンは忠清北道にある国家公務員人材開発院である。施設というよりは、施設周辺に住む住民らが180度態度を変えてくれたからだ。

収容施設として白羽の矢がたった当初は、住民らは耕運機、トラクターまで動員して死に物狂いで「来るな」とシュプレヒコールを上げた。しかし、SNSなどの呼びかけで、同じ国の住民なんだから温かく迎えてあげようよというコメントが拡散し、第一陣が到着する1月31日には「歓迎します」「がんばってください」という垂れ幕が設置されるまでに変化。武漢から帰ってくる僑民一同、報道ではなかったけれど、たぶん涙をもって感謝していたにちがいない。

そして、涙がまた別の主人公から流される。聯合ニュースなどを参考に書いてみる。

主人公は、鄭ダウン(ジョン・ダウン)という38歳の領事。湖北省武漢の現地で韓国人撤収作業の実務に責任を負う鄭領事は、同胞とのSNSチャットルームに「みんなにとても感謝している」とのメッセージを残した。鄭領事は、韓国で警察官として働いたあと、3年前に武漢総領事館職員としてやって来て僑民保護担当領事を遂行している。彼は、総領事館の同僚領事らと現地人職員、海外同胞などが参加している団体のチャットルームで「最後のチャーター機に333人無事搭乗の後本部に離陸電文を送り、家に帰ってくる車の中で泣きじゃくった」とし、武漢在住の韓国人撤収作業に協力してくれた同胞らに感謝の気持ちを表した。さらに「わたしはここにまだ残っている他の孤立した方々のために働かなければならない」とし、残っている同胞たちに「マスクなど救護物資を配らなければならないけれど、もうちょっとがまんしてほしい」と訴える。鄭領事は、夫人と2人の子どもを今回のチャーター機で国内に送った。一人で武漢に残った鄭領事は、家族にすまない気持ちも伝えた。彼は「9歳、7歳の二人のわんぱく坊主を連れて飛行機に乗せたのだけれど、妻には見送りのあいさつもできなかった」、「2人1室の狭い隔離室に子ども二人と一緒になんとかがんばっている妻のことが思い出され、本当に済まない気持ちでいっぱいで心が痛かった」と話した。

武漢の韓国人ソサエティーによると、武漢僑民合わせて701人をチャーター機に乗せるまで総領事館の職員と武漢僑民たちの底知れない努力があったとのこと。彼らは残っている同胞を1人でも多く飛行機に乗せようと、数日間睡眠も減らしながら同胞を助けたという。まず、湖北省外郭地域に住む僑民を安全に武漢天河空港まで来させる必要があった。これが最大の難関だった。湖北省全体が封鎖されているため、武漢外郭都市にある僑民たちが武漢まで行く道は険しかった。湖北省郊外に居住する僑民は、チャーター機の搭乗を申請し辛うじて車を手に入れるが、主要な通りごとに設置された公安の検問所で渋滞する状況に置かれる。武漢外郭地域の住民が武漢の人々の進入を阻止しようと「自警団」を組織し、地域道路のあちこちに様々な障害物を設置したのである。武漢僑民らはSNSのチャットルームを通じて、塞がっている道と迂回路を迅速に共有した。在武漢韓国人会が同胞の届け出をまとめて武漢総領事館に助けを求める方式で進められた。武漢総領事館の要請で、湖北省政府がチャーター便に乗る在武漢韓国人に通行証を発給することにしたのである。

しかし、各地方の検問所にまで知らせが届かず、これがまた苦労のタネ。このため総領事館は各検問所にいちいち事情を説明して道を開いてほしいと頼みこまないといけない始末。このようなやり方で少なくとも20か所あまりの検問所を開け、チャーター機搭乗者70人余りがこの困難な厳しい過程を経て武漢天河空港に到着することができたのである。

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