普通の人ならば簡単に心が折れてしまうような理不尽な出来事…。真の強さとは、そんな逆境を乗り越えたからこそ体得できるものなのかもしれません。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、日本ライト級元王者の坂本博之氏が「自らの原点」とする、幼少期の壮絶な体験を語っています。
日本ライト級元王者、壮絶な幼少期を語る
メキシコ五輪銀メダリストの君原健二氏、日本ライト級元王者で、プロボクサーだった坂本博之氏。ともに日本人に広く知られる一流スポーツ選手ですが、栄冠を手にするまでには辛い幼少期に始まる様々な人生の山坂を超えていく歩みがありました。
お二人に共通するのは逆境を受け入れて、自身の成長の糧にしてこられたことです。坂本氏には、原点となる幼少期のご体験をお話しいただきました。
虐待を受けたから分かることがある
僕の子供の頃のお話をさせていただきますと、物心つく前に両親が離婚しましてね。僕と一つ違いの弟は母親に引き取られました。ところが、母親は働くのに必死、子供にご飯を食べさせてあげることができないというので乳児院にお世話になるんです。
僕が小学校に入るくらいの頃、一度は母が引き取りにきてくれるのですが、母の置かれた状況は相変わらずで、僕たち兄弟はある知人宅に預けられるんです。この知人宅で僕たちは「なんで大人はこげなことをするんやろう」と思うような出来事を味わうわけです。
食べ盛りの僕たちでしたが、与えられる食事は学校給食の一食のみ。学校がある日は、残り物をランドセルに入れて夜にこっそり食べたりできたからまだいいです。土日は近くの川に行って釣りをしているおじさんに魚を分けてもらったり、自分たちでザリガニを捕まえたりしていました。それを火で炙って飢えを凌ぐんです。水がもったいないからとトイレも使わせてもらえず、近くの公園で用を足しました。
ある時、駄菓子屋に並ぶ肉まんが食べたくて食べたくて。でもお金がありませんから弟と二人、持てるだけ持って走って逃げたことがあるんです。道に落として砂がついた肉まんを公園のベンチで貪るようにして食べました。
「こんなこと絶対にやっちゃいけない。でも、これは生きるためだ」
と自分にも弟にも言い聞かせました。
そういう生活を半年ほど続けていたからでしょうか、弟は学校に行く途中に栄養失調で倒れ、僕も拒食症になり給食すら受けつけなくなってしまったんです。学校の先生が異変に気づいて知人から引き離し、僕たちは和白青松園で保護されるようになりました。
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