「共に生きる」ために。障がい者を「体感」し言葉をつくる意義

shutterstock_770131126
 

昨年12月から全国6ブロックで開催されてきた「共生社会コンファレンス」。2月14日に開催された関東甲信越ブロックでの様子について、統括責任者を務めた引地達也さんが、メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で伝えています。引地さんは、ワークショップで初めて会った障がい者同士が楽しむ様子に手応えを感じ、これを機会に「学びの場に障がい者をどう入れるか」から「障がい者中心の学びをどう作っていくか」へと、考え方の転換が起こることを期待しています。

共生社会コンファレンスで「共に生きる」ために言葉をつくること

本欄で紹介してきた「共生社会コンファレンスIN関東甲信越」(主催・文部科学省、一般財団法人福祉教育支援協会、共催・東京大学大学院教育学研究科)が2月14日、東京大学本郷キャンパスの伊藤国際学術研究センターなどを会場に行われた。

主催者であり全体を統括する立場としては、まずは事故なくすべてのプログラムが遂行されたことにほっとしているが、やはり支援が必要な人が社会で「学ぶ」ことを切り口に展開されたシンポジウム、ワークショップや分科会などで見えてくる課題は、明らかに「今、社会に欠如している部分」である。それを直視することがコンファレンス開催の意義だったと考えている。

ここから「言葉」を作る、「言葉」が浮かび上がるのが次への第一歩であり、そこから理解や共鳴、共感が生まれ文化が生じたら、多くの人の安らぎにもなる。その安らぎこそが「アンカーを下す」ことにつながり、学びが安定したものになる、なのだと思う。

コンファレンスは、前半のシンポジウムの作り付けから半年以上前から議論したもので、タイトルは「障害者発・新しい学びの提起─『健常者』中心の学びを超えて」だった。コンファレンスで語られる「学び」がこれまで健常者が作ってきた学びの場に「障害者をどう入れるのか」ではなく、「障害者中心の学びをどう作っていくか」がポイントであり、これは視点の大転換である。

シンポジウムのコーディネーターは全国で初めて知的障がい者を聴講生として受け入れている神戸大学の津田英二教授で、シンポジストは、社会教育が専門の牧野篤・東京大教授、障害学の星加良司・東京大准教授、そして私がシャローム大学校学長として務めた。

牧野教授は社会教育分野のこれまでの常識に疑問を呈し、星加准教授も障害者からの視点を整理した語り口は「東京大でやっている」感覚になるような、深くクリアな論点整理となり、私自身はその論点の実践例として、そして現場で起こっている話として「学びの実践」の話に繋げた格好だが、詳細は後日記したい。

print
いま読まれてます

  • 「共に生きる」ために。障がい者を「体感」し言葉をつくる意義
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け