ガビチョウは低く飛んで、チャカチャカ歩き、歩き方が可愛い。西脇順三郎の「日が暮れてきたので、イタチのように速く歩いた」という詩の一節を思い出す(「旅人帰らず」か「Ambarvalia」のどっちかに入っていたと思うが、手元に詩集がなくて、うろ覚えだ)。それでまた思い出したのだが、ガビチョウには関係ないが「かつしかの娘たちよ 別れの言葉を教えておくれ」という一節もあったな。私は、小学校に上がる前に葛飾区小菅に住んでいたので、葛飾という言葉に郷愁を感じるのである。
小学校に上がる直前に足立区島根町に引っ越したが、「あだちの娘たちよ 別れの言葉を教えておくれ」ではサマにならない。「すみだ」でもサマにならない。ここはどうしても4文字じゃないとしっくりこないのかと思って、「えどがわ」を入れてみてもやっぱりピンと来ない。4文字でも濁音があってはだめなのかもしれないと思って、「あらかわ」を入れてみると案外しっくりくるな、なんてどうでもいいことを考えながら、野鳥を見ているのである。
枯れたポポーの枝につるしている餌台に入っているヒマワリの種には、ヤマガラとシジュウカラが次々にやってくる。朝、昼、夕とたっぷりと入れておくのだが、あっという間に食い尽くしてしまう。まるで思春期のガキの食事のようだ。私は最近昼飯を抜くことも多いので、カラ類たちの食欲には驚くばかりである。小さな体で恒温動物の小鳥たちは、代謝が活発で、一日でも絶食すると餓死してしまうに違いない。ヒマワリの種が空っぽになると地べたに降りてきて、「野鳥のエサ」のアワやキビなどをついばんでいるので、いざとなれば、何でも食べるのだろう。
玄関わきのゲンカイツツジが満開である。その下に植えてあった金時草は、気温が零下になった日にばったり枯れてしまったが、よく見ると茎の一番下から新しい芽が出ている。生物たちはコロナ騒ぎで慌てふためく人間社会を尻目に、したたかに生き抜いているようだ。遠からぬ将来人類が滅びても、地上から生物たちのさんざめきが消えることはないと思う。人類が消えた地球を想像するとちょっと楽しくなるのは、自分でもどうかなと思うけれども、その日が来ることだけは間違いない。(メルマガより一部抜粋)
image by: shutterstock