講演中止が相次いだ池田教授が、家で虫や鳥を見ながら考えたこと

 

庭にやってくる野鳥たち

虫の整理は楽しいのだけれども、3時間も続けると飽きてしまい、昼間なので酒は我慢して、お茶を飲みながら、庭に来る小鳥たちを眺めている。年寄りは根が続かなくていけない。小鳥たちを観察していると、昔のことなどがいろいろ思い出されて、懐かしいような侘しいような気持になる。アオジのために「小鳥のエサ」(ムキアワ、ムキキビ、ムキヒエ、カナリーシードをミックスしたもの)を撒いてあるが、アオジは時々しかやって来ず、専らキジバトのエサになっている。

よくやってくるキジバトは3羽。2羽はペアで、1羽はチョンガーである。ペアのキジバトは仲睦まじく、並んでせっせと餌をついばみ、食べ飽きると、庭に座り込んで日向ぼっこをしている。チョンガーの方は別に羨ましいふうでもなく、少し離れたところで餌をついばんでいる。

最近は発情したのか、ペアの方のオスが喉を膨らませて「ルルルー、ルルルー」と唸りながらメスの尻を追い回している。メスはいい加減にしてほしいと言わんばかりに、逃げ回っているが、逃げる途中で餌をついばんだりしていて、色気より食い気だと可笑しくなる。この情景を見て、女房は「オスは本当に邪魔だねえ」とあきれ顔である。オスの一人である私は、そうは言ってもオスが頑張らないと種が存続しないんだよ、と心の中で呟いているが、口に出すと波風が立ちそうなので、黙っている。君子危うきに近寄らず。私は別に君子ではないけどね。

種の存続と言えば、数年前に、玄関わきのサンシュユの枝にキジバトが巣を作って、子育てをしたことがあった。何匹かの雛が巣立っていったが、もしかしたら、今庭に来ているキジバトはその時の雛なのかもしれないな、と思うとちょっと楽しい。

なんてことを書きながら、キジバトは狩猟鳥で、いかにも美味そうだな、と思って見ている自分が一方にいて、なんだかなあ、と思うけれども、昔、ベトナムに虫採りに行って、ハトを食べておいしかった思い出があるので、もう一度食べてみたい気がするのである。ドバトに比べると、確かに、見るからにキジバトは美味そうだな。尤もドバトは狩猟鳥ではないので、獲って食べると法律違反だ。どう考えてもキジバトよりドバトの方が害鳥だと思うけれども、不思議な法律だ。

キジバトの次に「小鳥のエサ」を食べにくるのはガビチョウである。ガビチョウは外来種ということで環境省に蛇蝎のように嫌われているが、これも狩猟鳥ではないので、獲ってはいけないのだ。いったい環境省はどうやってコントロールするつもりなのか、訳わからん。狩猟鳥に指定して食べたらおいしいよと言うキャンペーンでもやれば、少しは数が減るかもしれないのにね。尤もうまいかどうかは食べたことがないので、知らない。ガビチョウを食べた話は寡聞にして聞かないが、食べた人はいるのだろうか。

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