テレワーク普及でコミュニケーションは今後どうなってしまうのか

 

コロナ禍の前の昨年度から私は、名古屋のNPO法人見晴台学園大学、新潟のKINGOカレッジとをウエブ会議システムでつないだ遠隔授業を行ってきた。インターネットメディアを使って遠隔地を同時に結びコミュニケーションを取ることは、現代社会で当たり前に行われているコミュニケーション行為であり、何ら違和感はなかった。むしろ、障がい者の18歳以降の教育現場においては、メディアを使ってのコミュニケーションに焦点を当てて実践する機会はないから、あえてお互いが遠くにいることを意識し強調しながら、講義を進めてきた。

例えば、埼玉県和光市にいるホスト役の私は現在の天気を名古屋と新潟に聞き、さらに出席した一人ひとりの名前を呼ぶような工夫をするなどで、距離をメディアで縮めているだけではなく、言葉と意思によってコミュニケーションの成立の仕方が変わってくることの実践として、お手本を示す必要があったのだ。この論点は、某大学の研究者と紀要論文を先日書き上げたので後日紹介したい。

今日は遠隔講義を前例としてコロナ禍におけるテレコミュニケーションを、自分がやりたいことの欲求を達成するための装置とし、それを「拡張機能」と捉えた場合に、今後の取組はまだまだ創造的になる、ということを強調したい。やはり会ってコミュニケーションするのが一番ですね、という感覚は残りつつも、その一番は全員にとっての一番ではないかもしれない。

会ったらその雰囲気に気圧されてコミュニケーションが成り立たない人にとってテレコミュニケーションが最適な場合もある。同じ空間にいて威嚇されることもないし、殴られることもない。だから安心ができる。そこに安心できる社会が広がっていることを示せる。

誰でもマクルーハンが言う「メディアはメッセージである」を享受するため、情報弱者をなくしたい。それはテレコミュニケーションの認識ひとつで変わるはずだ。メディアを無自覚に受け入れると「壁のない牢獄」(マクルーハン)になるから、やはりメディア利用は自覚的に創造的に行っていきたいと思う。

image by: Shutterstock.com

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特別支援教育が必要な方への学びの場である「法定外シャローム大学」や就労移行支援事業所を舞台にしながら、社会にケアの概念を広めるメディアの再定義を目指す思いで、世の中をやさしい視点で描きます。誰もが気持よくなれるやさしいジャーナリスムを模索します。

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