歴史の捏造。「台湾鉄道の父」が日本人では困る国の隠したい真実

kou20200716
 

かつて台湾を統治していた時代、国の威信をかけて現地のインフラ整備を行った日本。鉄道敷設もその例に漏れず、「台湾鉄道の父」として、とある日本人の名が語り継がれていることは周知の事実となっています。ところがここに来て、「姑息な動き」が起きているとするのは、台湾出身の評論家・黄文雄さん。黄さんは今回のメルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』に、その動きの内容と仕掛けた人物の正体を記しています。

※本記事は有料メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』2020年7月15日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール:黄文雄こう・ぶんゆう
1938年、台湾生まれ。1964年来日。早稲田大学商学部卒業、明治大学大学院修士課程修了。『中国の没落』(台湾・前衛出版社)が大反響を呼び、評論家活動へ。著書に17万部のベストセラーとなった『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(徳間書店)など多数。

【台湾】「台湾鉄道の父」を日本人から中国人に変えようとする姑息な動き

台湾における「鉄道の父」は…日本人? 台湾で議論ぼっ発=台湾報道

台湾の「鉄道の父」は日本人ではなく中国人だとの主張をしている人がいるとのニュースです。ひとまず、「鉄道の父」は誰なのかを脇に置き、今さらこんな退屈な議論をしているのは誰なのかを予想してみましょう。聡明な読者の皆さんなら、すぐにお分かりになるでしょう。

ニュースソースを辿れば、この議論を広め、日本人と台湾人の固い絆に水を差そうとしている人物が誰なのかがわかります。以下、レコードチャイナが配信しているニュースを一部引用します。

中国メディアの環球網は13日、台湾博物館にある「台湾鉄道の父」の説明文に対し、国民党の蔡正元(ツァイ・ジョンユアン)氏が皮肉を込めた投稿をしたと報じた。

 

記事は、台湾・中時電子報の報道を引用。問題視されたのは正式な対外営業が始まったばかりの鉄道部パークにある説明文で、中時電子報によると、「台湾鉄道の父」とされたのが台湾近代史に詳しい人が思い浮かべる台湾の劉銘伝(リウ・ミンチュアン)ではなく日本人の長谷川謹介だったことがある見学者に驚きを与えたそうだ。

「台湾鉄道の父」がいつの間にか日本人に?国民党議員が皮肉の投稿―台湾

皆さんの予想通りです。言い出しっぺは、国民党の蔡正元でした。この記事は、以下のような言葉で結ばれています。

蔡氏がこの件について12日にフェイスブックに「台湾独立派は日本人を拝まなければどうやって生きていくというのだろう」という趣旨の投稿をしたことを伝えた。

「台湾鉄道の父」がいつの間にか日本人に?国民党議員が皮肉の投稿―台湾

明らかに挑発していますね。念のため鉄道事業について触れますが、清国から派遣された劉銘伝は確かに北部の一部に鉄道敷設を試みました。しかし、資金繰り、材料集め、地形調査など、様々な局面で行き詰まり、劉銘伝がつくった鉄道はとても実用性があるとは言えないものでした。特に資金が逼迫していたことは大きく、劉銘伝が作った鉄道設備は粗悪なものでした。

清の康熙帝は、父の順治帝の後を継いで満蒙八旗軍が征服した地と中華世界の両方を支配しました。やがて、1673年に起こった三藩の乱を平定して、鄭成功一族が支配していた台湾をも手に入れました。

以来、清王朝は200年以上も台湾を支配していましたが、清末の回乱(イスラム教徒の反乱)以後は、海禁と山禁を解き、劉銘伝を初代台湾巡撫として派遣しました。劉は、台湾で様々な事業に手をつけましたが、特に鉄道はオモチャのようだと言われました。木造の橋は水に流され、役人の汚職が横行しました。日本統治時代になって、はじめて当時の最新技術を用いての鉄道敷設が実現したのです。

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